オタク・魑魅魍魎が一斉にターンテーブルを回す! in 灼熱の秋葉原

 緊急事態宣言も解除されて、東京都の休業要請もステップ3まで進んだ。

 東京の天気もここ最近は曇り空や雨が多くなってきて、気温も右肩上がりに上昇していき、ついに季節は梅雨、そして夏なのである。

 夏だ! 海だ! 水着だ! 乳繰り合いの海水浴場バーベーキューだ! 俺も生きてていいんだ! これで引きこもり脱却だ! 早速知り合いの女の子に連絡しなくちゃ!

 LINEの連絡先に女が一人もいなくて絶望してブロックノイズ混じりのBS日テレのニュースを午前4時に見ていた俺は、そっとテレビの電源を切ると半泣きになりながら布団へと静かに戻っていった。

 そもそもこの夏は海水浴場は開かれないし、そもそも俺は女の子と出かけた予定もない。海には行ったことがある。あれは高校を卒業してすぐの頃、男友達と一緒に……。いや、この話はよそう。今じゃ俺を除いてみな社会人。さんざん空気を読めないと周囲の人間に言われてそろそろ四半世紀も見えてきた俺だって、社会人一年目で気負っている友人達を無職の俺が遊びに誘ってダウナー電波を送受信するほど、場の空気が読めないわけではない。

 休業解除段階がステップ3まで進んだということは、秋葉原のゲームセンターは開店しているということである。拭えども拭えども流れ落ちる我が涙を再度拭って一人きりで秋葉原へと向かった。

 ところで秋葉原へ電車を向かうとマスクをしていない俺が悪目立ちをする。そもそも暑苦しいのでマスクなどやっていられないのが理由だが、隣のお姉さんが俺のことジロジロ見てくるのはきっと俺がマスクをやっていないからだよな? 俺が平日昼間からラフな格好で東京メトロに乗って秋葉原へと向かっているからではないよな? 俺が無職だからじゃないよな?

 改札を抜けると常夏だった。ヨドバシカメラのアーケードをくぐり抜けて動乱の秋葉原へと向かう。信号待ちしている間に浮かび上がる蜃気楼は夢・愛・希望・願いのすべて……? 財布をガッチリ握りしめてエレベーターを待っていると一階にあるパチンコ屋の自動ドアが不定期に開閉し、そのたびに冷房の風が俺の全身にまとわりついて急速冷却される。

 これ以上ここいたら腹壊すで、というタイミングでエレベーターが来てとりあえず喫煙所のあるフロアへと向かう。喫煙所の場所は移転していて機動戦士ガンダムエクストリームバーサス、通称エクバというまあ大変に評判がよろしくはない筐体がずらりと並ぶエリアの隅っこで震えながらタバコを吸っている。なんで平日なのにそこそこ混雑しているんだ? お前ら学校はどうした? なんでそんなに声がデカいんだ? なんでタバコ吸っているだけの俺をチラチラ見てくるんだ?

 ようやくタバコを吸い終わると一つ下の階にあるbeatmaniaⅡDXをプレイする。するとどうだろう、4つある筐体のうち3つは埋まっているではないか! 嬉しいなあ、お前ら、どこも行く宛がなくてゲームセンターに来たんだろ? 俺も同じだぜ。

 俺の問いかけに彼らは一切答えない。声を出していないから当たり前である。

 キュッキュッターンテーブルを回し(プレイしたことある人ならわかると思うが、ターンテーブルを回すときにキュッキュッなどという音は生じない)、パチパチ鍵盤を叩きながら、俺を含めたオタク四人の動きが徐々にシンクロしていく。夏へ、コロナウイルスへ、ありもしない女友達へ、この素晴らしいゲームを作ってくれたコナミへ、小池百合子へ、そして神へと捧げるために、俺ら一斉にターンテーブルをキュッキュッ回す。

 キュッキュッ。キュッキュッパチパチ。パチパチ。

 夏はまだ始まったばかりだけど、今の俺にはわかる。今年の夏はきっと最高なことになる。だってゲームセンターが開いていて、beatmaniaⅡDXがプレイ出来る! こんなにうれしいことはないぜ。

 藤井聡太が81のマス目と40枚の駒を使う将棋で新たな地平を開くように、俺もこの7個の鍵盤と1枚のターンテーブルで音楽に、夏に、beatmaniaⅡDXに新たな地平を開くのだ!

 ビバ!

 フロンティア!

 実際はめちゃくちゃ下手になっていて、めちゃくちゃ手が痛くなって、金を無駄にして、俺はまたしても泣きながら秋葉原を去ることになったのである。

おい! 10万の給付金って言ってたのに5万は親に取られたぞ!

 俺には昔自分が書いたブログの記事を読み直しながら「こいつの文章面白えな〜」と一人で感心するという、精神的な自傷行為、つまりリストカットならぬメンタルカット(自己啓発っぽいな)スレスレの趣味があり、今日もいつものように少し前の記事を読み直していたらその冒頭が「すっかり春めいてきた」とあるもんだから俺は面喰らって、慌てて祖母の家から譲り受けたソファから身を起こしカレンダーを確認するともう6月だった。

 つまり季節はすっかり夏めいてきたのであり、俺はもう何もしないまま季節を一つや二つ超えたくらいで落ち着きを失うようなヤワな男じゃないと思っていたがショックなものはショックで、しかもこの3ヶ月ほどは滅多に家から外出しなかったせいで世界全体が停滞しているような印象もあったのも事実だ。

 昨年新しく買った我が家のエアコンから吹いてくる文明の風を俺の身の全てで受けながら、遥か遠い南仏・プロヴァンスの山々の草に覆われた肌を撫でる一陣の風に想いを馳せ、両親が給付金で買ってきた狭い居間には不相応なほど巨大に感じる50型テレビに映るギャラクシーエンジェルを横たわりながら見ていると、ああそうか、天国ってここにあったんだなあと思わざるを得ない。

 しかしここは現実だ。テレビのサイズが変わってもテレビの真上の壁に掛けられたカレンダーは一月が経つとめくれてゆくし、NHKのニュースを眺めているとご丁寧に毎日毎日現在日時を教えてくれるもんだから嫌が応にも時間が進んでいて戻ってこないことを俺は知る。早く現世の罪から解放されたいぜ。

 現世の罪から解放されずさまよえる魂となった俺は緊急事態宣言が解除され久しぶりにゲームセンターへ向かうと、やはり東京都の休業要請を振り切っての開店を振り切ったのは蛮勇に過ぎたのか、すぐさま再びの休業要請を受けてまた閉まることになったようで、そのニュースを聞きつけたアーケードゲームに飢えたオタク達が三密などまるでなかったかのように密集。さっきも言ったようにすでに季節は夏の始まりを告げており、全員汗だくになりながら懸命な顔してボタンとパチパチ叩き、ああ俺らパチンコにハマったオヤジ達の悪口なんか口が裂けても言えねえなあと思い、想像以上に下手になっているゲームの腕前に涙しながら帰宅する。

 果たして魂の解放は願わず、俺はいまもこうしてネットワークの中で徘徊を続け、一匹の亡霊となり、網の目の中をくぐり抜け街の灯りにその影だけを晒しながらハードボイルドに生き抜く夢を見て、時計の針がもう午前0時を指し示したから、もう眠剤を飲んで寝るのさ。

 

20200524

 日記だ……! 日記が書けるぞ!

 日記が書けるということほど嬉しいことはない。日記に書けるほどのイベントが俺の日常にあったということだから。俺の毎日は決して無色透明で過ごしているうちに端からこぼれ落ちていくようなものではないから。

 そう……だから昨日の日記を今から書きます。

 朝、起きたら六時だった。最近生活リズムの矯正が完了し、朝起きるだけで気分がいい。それが必ず崩れていくかりそめの真人間サイクルだとしても、しばらくは朝の十時に布団に入って「あ~俺今日一日なんにもしなかったな~死のうかな~」と思わなくても済むだけでこんなにうれしいことは……嘘。普通に夜の十一時に布団入っても「死のうかな~」って思うから。

 しばらくボーッとしながら居間で過ごすと、八時からヤクルトの高津監督と古田敦也の対談がテレ朝で放送されていたので見る。奥川の一軍初登板は七月になるらしい。見に行きたいけど、七月はまだプロ野球は無観客開催だろうなあ。

 しばらく記憶が飛ぶ。おそらく朝食を食べて向精神薬を飲んだはずだ。

 その後十時半からNHK杯将棋トーナメントのアーカイブが放送されていたので見る。NHK杯は一週間の楽しみだが、新型コロナウイルスの影響で対局そのものがしばらく延期になっていて、先週からNHK杯の過去の名局を再放送している。先週は38回の加藤一二三九段対羽生善治五段で、今週も同じ年度の大山康晴十五世名人対羽生善治五段。羽生の冴え渡る将棋よりも変幻自在、異常感覚な大山将棋に驚く。守りを固めず開戦しながらいつの間にか玉形が安定しているのはかなり現代的なのでは? 知らんけど。

 放送は正午に終わる。そこからしばらく記憶が飛ぶ。

 しかし、フォロワーから資格取得を促され、自分もそれに向けてやることはやると言ったにも関わらず、家にいると何もできない日々が続く。両親が家にいると決まってこうなってしまう。別に親は嫌いではないが、狭い我が家に異質なものが二人もいるとストレスというのは溜まっていって、何もできなくて……夏。

 向精神薬を飲んで気分は盛り上がり頭も冴えているのに家にいると何もできない。この二律背反にさらされ続けると人は、いや無職は……ゲームをする。パワプロは楽でいい。眺めるだけでいいから。あとは眠れもしないのに横になることだけしかできない。いやマジで。昔WOW WAR TONIGHTという曲があって、その中の一節の「家に帰ったらひたすら寝るだけだから」という歌詞にえらく感動したが、そこから時は流れて、特に家に帰らなくても、つまり外に出なくても家にいるとやることはひたすら寝ることしかないことに気づいたのは相当後になってからのことだった。

 しかし昨日の俺は一味違った。何が? 外に出たのさ。自発的に。しかも歩いて。

 この前の散歩は「新生活様式」という言葉にイラついたからした訳だったが、昨日の俺はもう純度100%の内なる欲求からの散歩だった。散歩はいいね。普段住んでいる町並みの気づかなかった変化に目が向く。そうか、現実は部屋にあったんじゃない。この街にあったんだ。俺はこの街を愛しているぞ! すべてが愛おしい! 旧劇で庵野秀明が言ってたのはこういうことだったのか!

 すぐにバテて喫茶店に逃げ込んだ。ほぼ引きこもっていた無職がいきなり散歩しまくろうとしても無理がある。

 タバコを吸いながらアイスコーヒーを飲んでいると客がもう俺の一人だけになっていた。気まずいな……尻ポケットから文庫本を取り出し一時間ほどその喫茶店に滞在していると、グラスの中の氷はすっかり溶けてコーヒーの風味がかすかに薫る天然水に変わっていたし、窓から見える人通りがまばらになって陽も緩やかに傾き始めていた。

 会計を済ましてその喫茶店を後にした。店員のおばさんが俺に「目薬の注し過ぎはよくないよ」と注意してくれたが、目の乾きを癒やすのは目薬しかないんですよ……心の乾きを癒すものはもうどこにも……といいかけてキモすぎてやめた。「あ、はあ」と曖昧な返事にとどめた。人とのつながりが普段からないから無職は人に話しかけられるとつい無闇に話したがる。

 さて、エネルギーもチャージしたし、もうちょっとブラつく気は一切起きず、むしろこの喫茶店になぜ自転車で直接向かわなかったのかを後悔し始めていたので、ダウナーな足取りで住む部屋へと急いだ。

 帰ってきたからの記憶は一切ない。マジで。昨日の夕食が何だったのか思い出すのがほとんどできない。風呂に入って、タバコ吸ったらもう夜の十一時だった。眠剤を飲んで寝た。

 

おい地球! 動いてるのか止まってるのかはっきりしろ!

 この前日記を書いたと思ったらもう五月も下旬だよ、俺はビビったね。この二ヶ月通話を除くと家族と喫茶店の店員以外に喋ってない。しかしよく考えると俺っていつもそんな感じの生活を送っていたはずで、緊急事態宣言の緊急事態って俺の生活のことだったのかな。ひょっとして俺って本土決戦だったりします?

 結局三回しか更新しなかった日記を見たら文体がいつもと違っていて怖くなった。こいつ誰だよ。しかも必ずファラオ・サンダースジョン・コルトレーンについて言及しているし、アルバート・アイラーでも取り憑いていたのか?

 でもかろうじて思い出せる五月の記憶はこの三日間だけで、他の五月の残りの17日ぶんを思い出そうとしても何も思い出せない。モニターの中で宙を舞う古田敦也東京ヤクルトスワローズ優勝の記憶しかない。しかもこれパワプロだもんな。

 あらゆる出来事の遠近感が完全に消失している気がする。ララァが言ってた刻が見えるってこういう状態のことですか? 甲子園の中止決定がまるで昨日のことのように……いや、それは昨日だろ。

 ここで気がついた。野球がないから俺は正確な時間の感覚を失っているんだ。そうか、シーズン中はほぼ毎日プロ野球の試合が開催されているから、その結果を知ることで俺は時間のリズムを作っていたんだ。道理でプロ野球がない冬は精神の調子が悪いし、ヤクルトが負けまくっていた去年と2017年の記憶が薄いわけだ。

 いや、2017年って俺が二浪になってて結構勉強してたし夏場の一ヶ月だけバイトしてた時期じゃん。バリバリ記憶あるよ。何なら高校出てからは一番濃い一年だっただろ。というか2017年の東京ヤクルトスワローズは異次元の負け方をしていたから印象に残るよ。何なら結構勝っていた一昨年の俺の記憶のほうが薄いくらいだ。暗黒時代の横浜以外で96敗もするんだ~って逆に感心したもんな。東京ヤクルトスワローズも緊急事態宣言したほうがいいんじゃないのか? ほら、緊急事態宣言してもここからヤクルトを救うことが出来るのかどうか分からない感じが本家っぽいじゃん。

 ところでさっきも言ったが我が家も緊急事態だ。何よりずっと働いていた両親がまとまった休みを二ヶ月も取っている。母親はなんか幼児退行したみたいな雰囲気をたまに出して無職の一人息子に痴呆の前兆かと思わせてドキッとさせるし、親父は朝から晩まで酒を飲み続け無職の一人息子をドキッとさせる。いやあんた痛風だったよね?

 でもこの狂騒具合がわが心に懐かしく……は響かないな。狂騒は狂騒なので。ひょっとして俺がうるさい音楽が好きなのって家庭環境のせいなんですか? ブオオブオブオビャッと吹きまくるファラオのテナー・サックスは何も答えてくれない。

 とにかくこの緊急事態で俺の周囲の人間の騒がしさは勢いを増し続け、今このブログの文章も普段ギリギリのところで保ち続けていたまとまりとクオリティも空気中のウイルスのように散らばっていって、異常な人々と静かな生活にサラウンデッドバイされながらも偉大なる「普通」を保ち付けていたここ一・二年の俺のささやかな長所も、囲まれる環境が異常な人々と異常な生活に切り替わるととたんに崩れ去っていって、どちからというと本当の緊急事態はそっちの方かもしれないぜ。

 

 

20200513

・最近生活リズムが著しく変調しているので、特に矯正をする必要もないが治そうとして、四時ごろに睡眠薬を飲んだがなかなか眠れず、一言で言えば失敗した。

 

・仕方なくApple Musicでファラオ・サンダースのElevationを聴く。
https://music.apple.com/jp/album/elevation/1443471178

1973年に録音されたライブアルバムでいかにもファラオ的なハッタリ感の中でブオブオブオとファラオが吼えます。その後はTheresa期のようなクラブジャズの文脈で評価されるあのファラオがちょっと顔を出し……いいですな〜😎

特に4曲目The Gatheringでのジョー・ボナーのピアノの暴れ具合は凄まじく、それに呼応するかのようなファラオのテナーの相乗効果はまさしくElevationというタイトルにぴったりでこっちもどんどんハイになります。

最後のSpritual Bressingで山師ファラオが盛り上がり切ったこのアルバムをキッチリと締め、大団円。思わず拍手。ええもん聴いたな〜。

Karmaなどにあった気負いはなく(もちろんあれはあれでいいアルバムです) 、伸び伸びとやってるファラオにつられてこちらもノリノリになり、Impulseのファラオでは一番好きかも。

ポスト・フリー的なスピリチュアル・ジャズのその先へ向かおうとするファラオの、つまりコルトレーンの正当後継者的な扱いという呪縛を振り切ったファラオの向かう先に黄金期と呼ばれた80年代が待っているのは知っての通り。

 

・ファラオなんて聴いて眠れるわけもないので、ただ聴きながら日が昇るのを部屋の白い壁紙がカーテンの薄い青に染まってゆく光景で知り、気付けばもう6時。昨日の夕飯の残りを朝食代わりにする。

 

・飯を食ったら徐々に眠くなってきて、ぐっすりと眠りに入り起きたら夕方の6時だった。寝すぎだ。祖母が家に来ている。とても声が大きく喋るスピードが速い。見た所"達"っぽい。

 

・飯を食い風呂に入ってもまだ9時前。さあここから夜は長いぞ、何をして時間を潰そうかと考えているだけで夜は明けてゆく。

2020/5/2

睡眠薬のストックが徐々に無くなってきて、連休に入る前に病院に行こうとしていたのに、病院に行く前に限って眠れなくなるいつものやつが訪れて、仕方なく起き上がって部屋の電気をつけてNetflixで配信されているコルトレーンのドキュメンタリーを見る。

 

・もともと今日はすっかり晴れるので朝早く起きて布団を干す必要があり、あんまり大した睡眠を取れないことを知りながらも睡眠薬を飲み、そして得てしてこういう時は眠れないもんだとも予感し、見事予感的中だった。

 

・もともと朝何時に起きるみたいな生活にうまく馴染めなかった結果無職に落ち着いたのに、結局家族の中で無職の立ち位置を確保するために早起きをしているという状況はどこか妙だ。

 

コルトレーンのドキュメンタリーは概ね良かったと思う。まあ生い立ちの部分は大体知っていたけど、ソニー・ロリンズとかカマシ・ワシントンとかがコルトレーンの音楽を語っていたし。意外なところではビル・クリントンなども登場した。

 

・不満はコルトレーンを神格化し過ぎてるところと、フリージャズ期(いわゆる後期コルトレーン)の取り扱いが小さかったところ。日本に割く時間が多くて驚いたが、途中明らかに「このパートはいらないだろ」という部分もあって、そこらへんは折角名前が出たファラオ・サンダースへインタビューして欲しかった。

 

・早朝に見たせいで涙腺が脆いのか、公民権運動のところとか原爆のところとかコルトレーンの死について周囲の人々が語るところはちょっと落涙してしまった。

 

・昨日の日記は後期コルトレーンとファラオを結びつけ過ぎたかも。もちろん後期コルトレーンにもファラオが参加していない作品はあるし、そしてそのいずれもが大体素晴らしい。とにかくコルトレーンの集中力とバンド全体をリードする力は本当にすごい。そのような絶妙なバランス感覚は緊張感に繋がっていき、これが昨日言った「ファラオは笑えるがコルトレーンは笑えない」にも繋がるのかも、と思っている。

 

・起きたらとっくに14時前で、朝食だか昼食だか分からない曖昧な食事を済ませると、通っている病院に電話を入れた。「やってますか?」「はい、やってますよ」ゆっくり支度してタバコを一本吸って家を出た。

 

・一ヶ月ぶりの外出だが、夏場用のアロハが小さく感じられるし、ズボンもちょっとキツかったので恐らく太ったんだと思う。運動は嫌だがこれ以上増えるのもどうもな。はやくゲーセンが開いてくれればずっとダンスダンスレボリューションするんだけど、そもそもこのゲームをやって痩せたことがないのに気付く。

 

・それにしても今日は暑いのでビックリした。先週くらいは「四月下旬なのに寒いなあ」と思っていたのにもう急に夏到来だ。海水浴シーズンまでこんな緊急事態だとちょっとキツそうだな、と行きもしない海と海の家のことを思う。

 

・山手線の中はガラガラで俺が寝転がっても誰にも気づかれなさそうだった。汚いのでやりはしなかった。小田急もこんな調子で空いていた。ロマンスカーに乗ろうと思っていたのに運休だったので仕方なく快速急行の通常列車に乗った。これで混んでいたらキレるところだった。

 

・電車の中で本を読もうとしたがどうも頭に入ってこないのでずっと檄! 帝国華撃団<新章>を聴いている。アニメの新サクラ大戦は声優がキツくて見るのを諦めたが、この曲は素直にいい曲だと思う。「はしーれー!」の佐倉綾音の声の伸びが気持ちいい。

 

・病院の待合室には俺しかいなかった。すぐに呼ばれて診察が始まる。狭い部屋の中で医者と俺との距離が取られていて、間に天井から下げられたビニール幕があって、それで声が通りにくくなることを心配してかマイクが置いてあった。薬の量を少し増やした。

 

・とにかくこの病院は欲しい薬はすぐに出すが事務の手続きがトロ過ぎてすごく腹が立つ。俺しか患者はいないのに随分待たされて会計を済ませる。次回来院時は検査をする必要がある。自立支援医療の期限が迫っている。忘れないように検査と診断書にかかる費用を教えてもらう。

 

自立支援医療を更新するたびにトマス・ピンチョンの「ヴァインランド」のことを思い出す。主人公の一人ゾイド・ホイーラーは年に一度クレイジーな振る舞いを披露して国から生活費を支給されている。ピンチョンはキャラクターの造形が面白いのも魅力の1つ。

 

・タバコ一本吸ってから帰ろうとしたらどこの喫煙所も閉鎖されていて閉口した。店でも吸っちゃダメで喫煙所でも吸えないなら路上で吸うしかないが、それでいいんだろうか? いや、家に出るなよってことは知っています。

 

・クタクタのまま病院から帰宅。大体遠出がこれくらいの用事しかないし、俺には体力もないので大抵通院を終えるとグッタリしている。万歩計を見ると5000歩も歩いてない。

 

・二日連続の更新だったが今日はたまたま通院というイベントがあったからで、多分明日は更新しない、というか出来ないと思う。

 

・日記スタイルにすると文体がいつもと違うが、いつものブログはパソコンから書いて、この日記はスマホから書いているのとは無関係ではあるまい。

 

 

2020/5/1

 特に何か書くべきことがある訳でもないが、なにかタイムライン上で日記をアップする流れみたいなのが生まれつつあって、俺も最初はnoteでやろうと思ったが、折角このブログがあるんだからこっちに載せればいいじゃないと思ったのでそうする。

 毎日続く訳もなく、単に暇だから書いているだけだし、まあご存知の通り日記に書くべきことがあるかというと特にね……(こんな時代やから)。

 

Twitterでは後期コルトレーンの話ばかりしているが、個人的にはコルトレーンよりもファラオ・サンダースの方が好きで、コルトレーンを聴き始めたのはファラオから遡ってのことだった(ただ、至上の愛だけはマイルスのKind of blueと一緒に借りたはずで、多分ジャズの名盤として紹介されていたのを見たんだろう)。

 なぜ自分がファラオのようなもうメチャクチャやっているジャズに惹かれたのかは覚えていないが、やはりファラオの出す音はカッコいい。初めて聴いたのはやはりKarmaからだったはずで、その時もカッコええとは思いながら「なんか宗教っぽい音だな」とも思っていた(よく知らんが、実際スピリチュアル・ジャズというジャンルもあるようだ)。

 まあしかし、「うーん分からんが、なんかすごい」と思いながらファラオのアルバムを聴いてばかりいる。ピンチョンが好きなのも「うーん、分からんがなんかすごい」と思っているからで、まああんまり考えることに向いてない人間の感想です。

 「ファラオは笑えるがコルトレーンはあまり笑えない」みたいなこともTwitterで話していた気がする。コルトレーンの場合、やはり最初に"後期"とつけたようにそのキャリアは大きく二分することが出来る、というのがまあ大方の最大公約数的結論で、Blue TrainやGiant Stepsのようなメチャクチャ上手い演奏を歴史的名盤の中にしっかりと刻みながら、コルトレーンは彼の持つイメージに反して短すぎる10年ほどのキャリアの中で大きな転向をしたようだ。

 彼が何を思いフリージャズを始めたのか知る由もないが、あのマイルス・デイヴィスさえ困惑を隠せなかったフリーに接近し、自分では出せなかった音を、逆に「これ以外の音は出せない」とでも言うよな演奏ばかりするファラオという若者まで自分のバンドに加え入れた、という音楽的変遷からは何かシリアスなものを感じざるを得ない、というのはカッコつけ過ぎですね。

 しかし、ファラオの大立ち回りの中でコルトレーンの抑制された絶妙な演奏を聴くと、切実なものを訴えかけてくるようにも聴こえる……というのも妄想が過剰か?

 まあ結局、さっき言ったように俺がフリージャズを聴くのは「なんか知らんが、すげー」というところに着地する。そういうもんです。

 

・シンエヴァの公開延期に伴い(?)Youtubeなどで新劇エヴァの無料公開が行われているので、久しぶりに見返す。

 序についてはあまり思うことはないが、破とQは「いいな〜」と思いながら見る。破はやはりゲンドウがちゃんとシンジの親父をやろうとしているところがとてもよくて、そういうのが「いいな〜」と思うのは俺が中途半端に成長してしまったからなのかしら。

 Qは破でシンジが行なった行為について「で、世界はメチャクチャになったけどお前どうすんの?」という感じの映画で、はじめて見た時は特に何も思わなかったが、何度も見返すうちにどんどん好きになってくる。そうだよね、破で「世界なんかどうだっていい! 綾波だけは助ける!」をやって実際綾波を助けたけど世界はメチャクチャですのまま終わってたら、単にポジティブな旧劇なだけだもんね、と「綾波を……返せ!」で流した涙も乾かぬうちに庵野秀明に同意する。

 

・緊急事態宣言が出てから仕事が当面の間休みになり両親がずっと家にいる。だからなのなどうなのか、家の中では集中して本を読むことが出来ず、かといって外に出るのもダルいので家で寝転がりながら音楽聴いたりアニメを見たりしている。

 

・みんなアフターコロナがどうとかと言ってTwitterのようなネット空間が息苦しい。誰も「なぜコロナ後はそのような世界になるのか?」ということをすっ飛ばして、予言めいたことばかり言っている俺の反発でしかない、というのも理解しているが。

 ディストピアを描く作品に触れて思うのは、「なぜディストピアな社会になったのか? という原因と成り立ちを描いてくれた方が、よっぽど面白いのにな〜」なので、まあそういうもんです。

 

・単なる下町の一庶民でしかない俺は結局流されて生きるだけだろうと思うが、ちょっとこれは楽観的すぎるか?

 

糸井重里的なるものへの批判が凄まじい。しかし、タイムラインなどで流れてくる批判などを見かけると、「皆が政治と無関係ではなく、政治に自覚的にコミットするべきなんです!」みたいな意見は、あまり糸井重里的なるものと距離が遠くないように思えるが、これは俺が単に逆張りな冷笑オタクだからなんでしょうか?

 

・小説は進んでいない。

 

 今回は喋り過ぎた。また今度。