俺だって平安貴族にはなりてえよ!?

 皆さん、あけましておめでとうございます。と言う間もなく月日は流れてあっという間に季節は春。ついこの間まで「寒いよ~」と言いながら布団の中に包まっていたアハ太郎も、今や風呂から出るなり「暑くね?」と言い放って半袖シャツを着ている始末。

 あたりに咲く桜の色にも緑っぽいものが見え始めて、普段から「わざわざ上野に来るんじゃなくて地元の花を愛でろよ」と声高に主張しているアハ太郎の家の近くにあるまさに桜並木と形容するべき道の脇にも散った桜の花びらの方が咲いているそれよりも目立っている。というかここの桜、最盛期に比べてなんか萎びてね? 俺が小学生だった頃は春爛漫といった「陽」の雰囲気を満開の桜が読売新聞のセールスかよと思うほどに押し付けてきて、確かに美しい光景ではあったけどさ、こう、侘び寂びみたいなものがさ……とエクストリーム級のマセガキだった俺は口の端を微妙に歪めて眺めていたはずなのだが……。

 侘び寂び、出ちゃってね? 萎びた桜の樹の枝の先から一枚一枚ひらひらと力なく落ちていく花びらに「陰」の雰囲気出ちゃってね? ここで俺が歌人だったらかつての小野小町のようにこの細い桜の樹とかつての桜並木をアハ太郎本人の衰えとも擬える和歌の一つや二つでも詠んでいたところだが、生憎俺は歌人でもないのでこうしてブログを書く羽目になっている。平安貴族がわずか三十一文字で詠嘆したことを令和無職の俺は四苦八苦しながらキーボードを叩きつけてすでに六百文字以上の文章で表現しようとしているのだから、これが人間の退化でなくて何というのか。あ~俺も平安時代に生まれたかった。なんか適当な官位貰ってサッカーボールでも蹴りながら人生を全うしたかったよ~。

 しかしそうはいかないのだから人生である。というか、平安時代の人もサッカーボール蹴るだけの人生ではないだろうし、そこには想像を絶するような苦労があったはずで、こうやって他人の人生に対する想像力が根本的に欠けているところにアハ太郎が無職たる所以があるんだろうな。自分でも「俺って基本的に人生舐めてんな~」と思うもんね。

 で、こうしてブログを書かずにいる間にアハ太郎もついに二十五歳になってしまった。なんだかんだ四半世紀生きたんだから大したもんだ。偉いぞ俺! 頑張ってるぞ俺! でも、世間とか両親とかはこの四半世紀にも及ぶ俺の頑張りを一切認めようとせずに、いよいよ本格的に「流石にもう就職したら?」という圧をかけてきて、なんでだよ、人間って生きてるだけで偉いんじゃねえのかよ、心のノートにはそう書いてただろうがよと思って心のノートを探そうと本棚の中を見ていたら見つけたのは高校の卒業アルバム。そこには二〇一六という四文字。えっ、俺って今年で高校を卒業して丸七年経つんだ。ってことは俺の人生の内の三〇%くらいは無職期間なんだ。と気付いて、深夜に一人で暗澹とした気分に陥ってしまった。

 振り返れば、同級生達は次々に結婚し、普通に出産までしている子供たちもいる中、俺はといえばこの七年間ほとんど引きこもりみたいな状態で労働もせず家事もせず言うほどアニメも観ず本も読まず、一切改善する傾向が見られない中わざわざ電車を乗り継いで月に一度心療内科まで行く以外は布団の中から天井を見上げるだけ。俺の人生って一体……。母親は来月で還暦になるし、いくらなんでもこのまま無職はマズいが、体が動かないんだからもうしょうがないよね。あの頃の希望に満ち溢れた学生時代の俺カムバック! もし仮に中学生の頃の俺が今の俺を見たらどう思うだろうか。意外とキレやすく短気な俺なので、「こんなの俺じゃない!」と叫びながら包丁で俺のでっぷりとした腹を突き刺すだろうね。そうして俺はその傷から流れ出る血の温かみを手のひらでしっかりと感じながらすべてこれでいい、二十五年の人生だったけど、まあ楽しんで来た方だと一人横たわって涙を流して中学時代の俺の激情に駆られたその表情を最期の景色として息絶えるだろうね。

 という訳で二十五歳を迎えてからの俺は小野小町もビックリの人生の衰えを感じてスーパーメランコリック状態だ。心の支えはヤクルトだけ。アハ太郎、こんなんでいいの!? 二十五歳になっても無職のアハ太郎は自殺への欲求を耐えて生き抜くことが出来るのか!? これからのアハ太郎の活躍から目を離せないぞ! もうここまで来たらね、笑うしかないし、笑ってもらうしかないんですよ。マジでさ。