2020/5/1

 特に何か書くべきことがある訳でもないが、なにかタイムライン上で日記をアップする流れみたいなのが生まれつつあって、俺も最初はnoteでやろうと思ったが、折角このブログがあるんだからこっちに載せればいいじゃないと思ったのでそうする。

 毎日続く訳もなく、単に暇だから書いているだけだし、まあご存知の通り日記に書くべきことがあるかというと特にね……(こんな時代やから)。

 

Twitterでは後期コルトレーンの話ばかりしているが、個人的にはコルトレーンよりもファラオ・サンダースの方が好きで、コルトレーンを聴き始めたのはファラオから遡ってのことだった(ただ、至上の愛だけはマイルスのKind of blueと一緒に借りたはずで、多分ジャズの名盤として紹介されていたのを見たんだろう)。

 なぜ自分がファラオのようなもうメチャクチャやっているジャズに惹かれたのかは覚えていないが、やはりファラオの出す音はカッコいい。初めて聴いたのはやはりKarmaからだったはずで、その時もカッコええとは思いながら「なんか宗教っぽい音だな」とも思っていた(よく知らんが、実際スピリチュアル・ジャズというジャンルもあるようだ)。

 まあしかし、「うーん分からんが、なんかすごい」と思いながらファラオのアルバムを聴いてばかりいる。ピンチョンが好きなのも「うーん、分からんがなんかすごい」と思っているからで、まああんまり考えることに向いてない人間の感想です。

 「ファラオは笑えるがコルトレーンはあまり笑えない」みたいなこともTwitterで話していた気がする。コルトレーンの場合、やはり最初に"後期"とつけたようにそのキャリアは大きく二分することが出来る、というのがまあ大方の最大公約数的結論で、Blue TrainやGiant Stepsのようなメチャクチャ上手い演奏を歴史的名盤の中にしっかりと刻みながら、コルトレーンは彼の持つイメージに反して短すぎる10年ほどのキャリアの中で大きな転向をしたようだ。

 彼が何を思いフリージャズを始めたのか知る由もないが、あのマイルス・デイヴィスさえ困惑を隠せなかったフリーに接近し、自分では出せなかった音を、逆に「これ以外の音は出せない」とでも言うよな演奏ばかりするファラオという若者まで自分のバンドに加え入れた、という音楽的変遷からは何かシリアスなものを感じざるを得ない、というのはカッコつけ過ぎですね。

 しかし、ファラオの大立ち回りの中でコルトレーンの抑制された絶妙な演奏を聴くと、切実なものを訴えかけてくるようにも聴こえる……というのも妄想が過剰か?

 まあ結局、さっき言ったように俺がフリージャズを聴くのは「なんか知らんが、すげー」というところに着地する。そういうもんです。

 

・シンエヴァの公開延期に伴い(?)Youtubeなどで新劇エヴァの無料公開が行われているので、久しぶりに見返す。

 序についてはあまり思うことはないが、破とQは「いいな〜」と思いながら見る。破はやはりゲンドウがちゃんとシンジの親父をやろうとしているところがとてもよくて、そういうのが「いいな〜」と思うのは俺が中途半端に成長してしまったからなのかしら。

 Qは破でシンジが行なった行為について「で、世界はメチャクチャになったけどお前どうすんの?」という感じの映画で、はじめて見た時は特に何も思わなかったが、何度も見返すうちにどんどん好きになってくる。そうだよね、破で「世界なんかどうだっていい! 綾波だけは助ける!」をやって実際綾波を助けたけど世界はメチャクチャですのまま終わってたら、単にポジティブな旧劇なだけだもんね、と「綾波を……返せ!」で流した涙も乾かぬうちに庵野秀明に同意する。

 

・緊急事態宣言が出てから仕事が当面の間休みになり両親がずっと家にいる。だからなのなどうなのか、家の中では集中して本を読むことが出来ず、かといって外に出るのもダルいので家で寝転がりながら音楽聴いたりアニメを見たりしている。

 

・みんなアフターコロナがどうとかと言ってTwitterのようなネット空間が息苦しい。誰も「なぜコロナ後はそのような世界になるのか?」ということをすっ飛ばして、予言めいたことばかり言っている俺の反発でしかない、というのも理解しているが。

 ディストピアを描く作品に触れて思うのは、「なぜディストピアな社会になったのか? という原因と成り立ちを描いてくれた方が、よっぽど面白いのにな〜」なので、まあそういうもんです。

 

・単なる下町の一庶民でしかない俺は結局流されて生きるだけだろうと思うが、ちょっとこれは楽観的すぎるか?

 

糸井重里的なるものへの批判が凄まじい。しかし、タイムラインなどで流れてくる批判などを見かけると、「皆が政治と無関係ではなく、政治に自覚的にコミットするべきなんです!」みたいな意見は、あまり糸井重里的なるものと距離が遠くないように思えるが、これは俺が単に逆張りな冷笑オタクだからなんでしょうか?

 

・小説は進んでいない。

 

 今回は喋り過ぎた。また今度。