ゴールデンウィークは我慢のウィークてことは、俺の両親はもうずっとゴールデンウィークだね。

 今、このブログ記事を書いている時間はミッドナイトを通り過ぎて早朝・未明になりつつある午前三時半なのですが、未明って俺の人生を表す言葉みたいでなんかいいよな。俺もこれからは人から「普段何やってるの?」って聞かれたら「未明ですよ」って答えようかな。まあ、そもそも人と話す機会が無いんですけどね。

 五月に入って「よし!俺もなにか生産的な活動をして今の無職状態から抜け出すぞ!」と決意したものはいいものの、実際に五月に入ってから俺がやったことはと言えば、飲み会で奢ってもらってるのに騒ぎまくって人に迷惑かけることとか、村上春樹読んで「結局この双子は何だったんだ……?」と思うだけだ。あれ、セックスとかしてるのかね? 

 まあとにかくこのままじゃヤバい! また月間目標が未達のままひと月が終わってしまうぞ! とアハ太郎は焦って今こうしてこの記事を書いている訳だが、日記紛いのブログ記事を書いたところで何ら生産的な活動を行っている証左にはならないわけで、四半世紀に渡る俺の人生、基本的にはこういう感じで物事の解釈を曖昧にズラして、空虚なアクションで色々なものを誤魔化してきただけで、だから無職なんでしょうけどね。

 しかし、そうした俺の逃げ回り人生術を以てしても逃げられない出来事がついにやってきた! それは――親の還暦である。

 ヤバイよアハ太郎、ついに俺の母親も還暦になっちゃったよ。しかも三ヶ月後には親父も還暦を迎える。竹下登風に言うとこれまでの私の無職人生から言っても最大の危機という感じで、東京23区東部に建っているマンションの狭い一室の中でガタガタ震えながら不可避の人生回想を、両親から、そして俺の内なる精神から絶えず迫られているのが俺の現状だ。

 というか俺が無職を始めてからもう七年の歳月が経過している訳で、両親はその人生の10%以上の時間を無職の息子と共に過ごしているわけだ。その寛容と忍耐の心、誠に頭が下がる思いです。見習いたい精神力ですね。

 いや、客観的に自分の両親を評価してる場合じゃないよ! ホントにどうすんの? もう日々をタウンワークとかランサーズとかのサイト開いて「よし、今日も求職状態ではあったな」と満足出来るような段階はとうに通過して、コンビニバイトにでも応募しようものなら「綺麗な履歴書してるんだね、知らなかったよ」と往年のJ‐POPの歌詞みたいな口ぶりで俺のまっさらな職歴を詰問されること間違いなし。まさに前門の虎、後門の両親という感じである。寅年生まれの俺にピッタリなことわざだね。

 でも、「どうするの?」と聞かれたところで……いや、ホントにこっちが「どうするの?」と聞きたいくらいで、なにかヒントを得られないだろうかと松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」を視聴していたのだが、ヒントになるようなことは何もなかった。そもそも殿様生まれの徳川家康と高校中退生まれのアハ太郎では何もかも違うので、参考にできる点などないに等しいのが当たり前なのであって、また時間を無為に過ごしてしまった。まあいつものことだから気にしないけどね。

 でも大丈夫だよアハ太郎! まだ五月は終わってない! ここから月間目標の生産的な日々を過ごすことだって十分に出来るんだ! まだ間に合うんだよ。具体的には何に間に合うのかは知らねえし、そもそも今の俺に間に合うものなんて何もないと思うけど、とりあえずこうしてブログ記事一本くらいの量の文章を書くことが出来たのを五月の月間目標の到達点としたいと思います。そして記事をアップしたあとに、布団の中に入って、今月の総括の方を行わせていただきますので、なんとかそれでご勘弁いただけないでしょうか。

 現場からは以上です。

 

 追伸

 「よし、ブログでも書くか」と思ってパソコン立ち上げたら、もう普段はなにか文章を書くときにしかパソコンを使わないものだから、この中古の東芝のノートパソコンにも焼きが回っていちいち動作が遅くなっていて、「どんなに賢い機械でもやがて老いるものなのだな……」とその年の取り方に一人で感動していたら、「お前みたいな無職に同情される覚えはねえよ!」ってパソコンから声がしてビックリしてぶどうジュースが入ってたグラス落として割っちゃった。

 お医者さんに言って薬増やしてもらおうかな?

俺だって平安貴族にはなりてえよ!?

 皆さん、あけましておめでとうございます。と言う間もなく月日は流れてあっという間に季節は春。ついこの間まで「寒いよ~」と言いながら布団の中に包まっていたアハ太郎も、今や風呂から出るなり「暑くね?」と言い放って半袖シャツを着ている始末。

 あたりに咲く桜の色にも緑っぽいものが見え始めて、普段から「わざわざ上野に来るんじゃなくて地元の花を愛でろよ」と声高に主張しているアハ太郎の家の近くにあるまさに桜並木と形容するべき道の脇にも散った桜の花びらの方が咲いているそれよりも目立っている。というかここの桜、最盛期に比べてなんか萎びてね? 俺が小学生だった頃は春爛漫といった「陽」の雰囲気を満開の桜が読売新聞のセールスかよと思うほどに押し付けてきて、確かに美しい光景ではあったけどさ、こう、侘び寂びみたいなものがさ……とエクストリーム級のマセガキだった俺は口の端を微妙に歪めて眺めていたはずなのだが……。

 侘び寂び、出ちゃってね? 萎びた桜の樹の枝の先から一枚一枚ひらひらと力なく落ちていく花びらに「陰」の雰囲気出ちゃってね? ここで俺が歌人だったらかつての小野小町のようにこの細い桜の樹とかつての桜並木をアハ太郎本人の衰えとも擬える和歌の一つや二つでも詠んでいたところだが、生憎俺は歌人でもないのでこうしてブログを書く羽目になっている。平安貴族がわずか三十一文字で詠嘆したことを令和無職の俺は四苦八苦しながらキーボードを叩きつけてすでに六百文字以上の文章で表現しようとしているのだから、これが人間の退化でなくて何というのか。あ~俺も平安時代に生まれたかった。なんか適当な官位貰ってサッカーボールでも蹴りながら人生を全うしたかったよ~。

 しかしそうはいかないのだから人生である。というか、平安時代の人もサッカーボール蹴るだけの人生ではないだろうし、そこには想像を絶するような苦労があったはずで、こうやって他人の人生に対する想像力が根本的に欠けているところにアハ太郎が無職たる所以があるんだろうな。自分でも「俺って基本的に人生舐めてんな~」と思うもんね。

 で、こうしてブログを書かずにいる間にアハ太郎もついに二十五歳になってしまった。なんだかんだ四半世紀生きたんだから大したもんだ。偉いぞ俺! 頑張ってるぞ俺! でも、世間とか両親とかはこの四半世紀にも及ぶ俺の頑張りを一切認めようとせずに、いよいよ本格的に「流石にもう就職したら?」という圧をかけてきて、なんでだよ、人間って生きてるだけで偉いんじゃねえのかよ、心のノートにはそう書いてただろうがよと思って心のノートを探そうと本棚の中を見ていたら見つけたのは高校の卒業アルバム。そこには二〇一六という四文字。えっ、俺って今年で高校を卒業して丸七年経つんだ。ってことは俺の人生の内の三〇%くらいは無職期間なんだ。と気付いて、深夜に一人で暗澹とした気分に陥ってしまった。

 振り返れば、同級生達は次々に結婚し、普通に出産までしている子供たちもいる中、俺はといえばこの七年間ほとんど引きこもりみたいな状態で労働もせず家事もせず言うほどアニメも観ず本も読まず、一切改善する傾向が見られない中わざわざ電車を乗り継いで月に一度心療内科まで行く以外は布団の中から天井を見上げるだけ。俺の人生って一体……。母親は来月で還暦になるし、いくらなんでもこのまま無職はマズいが、体が動かないんだからもうしょうがないよね。あの頃の希望に満ち溢れた学生時代の俺カムバック! もし仮に中学生の頃の俺が今の俺を見たらどう思うだろうか。意外とキレやすく短気な俺なので、「こんなの俺じゃない!」と叫びながら包丁で俺のでっぷりとした腹を突き刺すだろうね。そうして俺はその傷から流れ出る血の温かみを手のひらでしっかりと感じながらすべてこれでいい、二十五年の人生だったけど、まあ楽しんで来た方だと一人横たわって涙を流して中学時代の俺の激情に駆られたその表情を最期の景色として息絶えるだろうね。

 という訳で二十五歳を迎えてからの俺は小野小町もビックリの人生の衰えを感じてスーパーメランコリック状態だ。心の支えはヤクルトだけ。アハ太郎、こんなんでいいの!? 二十五歳になっても無職のアハ太郎は自殺への欲求を耐えて生き抜くことが出来るのか!? これからのアハ太郎の活躍から目を離せないぞ! もうここまで来たらね、笑うしかないし、笑ってもらうしかないんですよ。マジでさ。

無職ならロックをやれ!?

 さ、寒すぎる……と思って部屋の温度計を見てみたら3℃だった。さ、3℃て。いくら無職が家庭のリソースを無駄遣いしているとはいえ、3℃まで下がったらもう耐えられぬ! と、「無職なのにストーブを点けるというような電気代とガス代の無駄遣いはやめろ」と親から言われるが断腸の思いでストーブ点火! ボッ! チチチチ……という音と共に熱風がストーブから吐き出されて、やがてその暖かさが部屋全体に広がり、俺の体の冷えも癒やされて……ない! 全然暖かくならない! そもそもストーブがあるのは家の居間だし、俺は今このブログを自室で書いている以上、いくら居間のすぐ横に襖だけで仕切られた俺の部屋があるとしても、すぐに暖かくなるはずがない! なんだこれ、北風と太陽の現代版か? 無職はたとえストーブを使ったとしても暖かくなる資格はないって言いたいのか? 今流行っている学習性無力感ってこういうことかよ! 俺はモルモットでも猿でもないぞ! おい! ここから出してくれ! 誰か助けてくれ!

 いや、部屋の外から出してもらったら更に寒いだけで、その瞬間に俺は細胞のすべての動きが全停止して凍えて死ぬだろうな。朽木ルキア卍解ってそういう感じの能力で敵を殺すタイプだった気がする。

 前回のブログ更新からはや一ヶ月。しかし一ヶ月だけでこうも寒くなりますかね? やはり、地球環境は加速度的なペースで崩壊しつつあることを確信させるよね、と思ってカレンダー見たら12月だった。えっ、もう12月なの? ついこの前まで東京オリンピックがどうとか言ってなかった? と思って記憶を辿ったらそもそも東京オリンピックって去年だった。ヤバいよアハ太郎~もうマジで時間の感覚が人とズレすぎてて小鶴誠が言う「ボールが止まって見えた」の逆バージョンに突入しちゃってるよ~どうするんだよこれ~。加速度的なペースで崩壊しているのは俺の生活の方だった。これが人新世ってやつらしい。いや、俺がしなきゃならないのは職申請。来年還暦を迎える(マジで?)両親からも「月に10日でもいいから働いてね」と言われる有様だし、流石のアハ太郎も25歳を迎えるのに無職じゃマズいと思って、ランサーズのページを開いたんだけど、毎回そこで満足してパソコン閉じちゃうんだよな~。あれってなんでなんですかね? タモリさん、トリビアになりませんか?

 なる訳ねえだろ。訳分かんねえこと言ってねえで働け! でもな~という迷いの心が俺をdアニメストアの迷宮へと誘って、ソファの上に寝転がりながら「ぼっち・ざ・ろっく」を見ています。

 ぼざろ、面白いよね。大体転がり続ける俺の人生も、まさにロックンロールだ。特に人と話すときに必ず「あっ」と頭についてしまうぼっちちゃんと、常に金欠で人から金を借りないといけない山田リョウ、俺と他人とは思えない。二人から美少女成分とロック成分を抜いたらほぼ俺です。じゃあ別人じゃねえかって? そう言うと思ってな、俺は先手を打ってあるんだよ。常に相手の手を読み、一歩リードする。これが人生の奥義だ。忘れるなよ。

 俺はロックを始めることにしました。美少女にはなれないけど、ロックはいつからでも始められるもんね。大丈夫、ジミ・ヘンドリックスカート・コバーンも27歳で死んだけど、この東洋の島国からは、25歳からギターを始めてロックスターに上り詰める男もいるのだ! その名も「にーと・ざ・ろっく」! どうだ? 「ぼっち・ざ・ろっく」よりもエグみが増して、もうその威圧感だけでロックだね。おい! 全国のニート共、俺たちみんなでロックを奏でてこの国を無職ロックフェスティバルの国へと生まれ変わらせるぞ! 俺についてこい!

 こうなったらウカウカしちゃあいられねえ! 早速ギターをゲットだぜ! と思ってぼっちちゃんが持ってるギターを検索したら値段が80万してて目玉が飛び出た。は、80万て……。ぼっちちゃん、普通にリッチじゃん、俺とは全然別人じゃん。よく考えたらあの娘、普通に一軒家に暮らしてるし、山田リョウなんか病院の院長の娘だった。全然階層が違う人の話だった。なんでだよ。世の中理不尽すぎるだろうが! おい! 無職にはロックも出来ねえのか! 俺にロックをやらせろ! ギターを弾かせろ! 「アリーナ!」って言わせろ!

 そういう訳で、俺は今ロックの道を諦めて寒い部屋の中でホットココアを飲みながらこのブログ記事を書いています。でも、よく考えたら「働いてよ~」って言われながらそれをガン無視して無職として生きているのって、その精神性だけは十分ロックじゃね? もしかして、俺ってロックスターじゃね? 後は適当に俺みたいな高卒無職でも養ってくれるお姉さんを見つけたら、事実上の武道館完売だろ……。俺のロック道は、まだまだ始まったばかりだぜ!

 

 ……バカなこと言ってないで働け!

もののあはれというか俺が哀れだよ

 最後にブログを更新した時からまた季節は巡って、今は秋である。ね~、すっかり秋だね~。外に出ると金木犀の香りがするし、食欲の秋、読書の秋だよね~。

 バカかお前らは。そもそも俺は秋になろうが冬になろうが滅多に外に出ないから金木犀の香りなんか嗅がないし、というか生まれてから一度も金木犀の香りなんか嗅いだことないよ。そもそも金木犀って何? ローゼンメイデンのキャラクター?

 食欲の秋にしたって、自慢ではないがこのアハ太郎、季節関係なく飯はバカスカ食うから。自分の食欲を季節に依存するなよ。今日も俺、寝る前にマック食って起きたらゲロ吐きそうになってた。普通の24歳ってマック食ったらゲロ吐きそうになるんですか? もう胃腸が人間らしい機能を放棄しかけてんだよこっちは。

 唯一らしい秋といえば読書の秋ってことくらいだな。うん、俺もこの前野中広務回顧録読んでたし。というか、読書こそ季節関係なくやれよ。紙の本を読みなよ。嫌だね、この前Kindle斎藤次郎の評伝読んだら読みやすいこと読みやすいこと。これからは俺もKindle電子書籍いっぱい読もうと思った。ようやく俺も文明レベルが進化してきたな。

 という訳で、アハ太郎は季節関係なく元気だし、無職でーす。似たようなこと、魔女の宅急便のキャッチコピーで言ってたよね。宅急便といえば、この前母親宛に荷物が届いてたのに俺がガッツリ寝てて無視してたら、後に母親から「ああ、あれ詐欺だから返事しなくて正解だよ」と言われて腰を抜かしたものですが。

 大体ね、秋だろうがなんだろうが普段と変わらぬことをやれよ。それが社会人であり、大人の責任というものではないでしょうか。季節ごとに趣味嗜好や感情が変わるやつを傍から見たらただの関わりたくない怖い人だろ。自律神経が失調している恐れがありますから、温かいお風呂に入って分厚い布団でよく寝てくださいね。

 で、普段と変わらない俺は、全く普段から変わることなく病院の帰りに秋葉原のゲームセンターに寄っていつも通り下手くそなゲームプレイを楽しんだ後に、「まだ時間に余裕があるな」と思い、たまたま人がいなかったのもあってダンスダンスレボリューションをプレイすることに。思えばこれがすべての失敗で、久しぶりにやるDDR、足は上がらないのに息はすぐ上がるし、体力は切れるし全身汗だくの妖怪スライムダンスオタクみたいな風貌になって、なんか俺がプレイし始めた途端に示し合わせたかのように他の筐体に上手い人たちが群がり始めて、もうこれ以上は限界という感じでその場に座り込み、逃げ帰るために甲子園で敗退した高校球児が砂を集めるが如く、床に置いた荷物を回収してそそくさとそのゲームセンターを後にした。あれ以来、ダンスダンスレボリューションはプレイ出来ていない。見るだけで謎の汗が噴き出てくる。俺はベトナム帰還兵ならぬDDR帰還兵。一生癒えぬ傷を抱えてこの秋葉原のゲームセンターを練り歩く悲しき亡霊だ。

 あ、それはそうと、なんか全体的に音ゲーが下手になってたので、モチベーションを失ってま~す。

 

 PS

 普段と変わらないことが重要……というブログのテーマに沿って(そんなんだったっけ?)去年と同じように告知します。

 去年自分も寄稿した同人誌「ラッキーストライク」の続刊、ラッキーストライク02が好評販売中です。初代ラッキーストライクは結構売れたらしく、俺も年末、忘年会をやっているときに「えっ、ラッキーストライクの田中アハ太郎さんですか!?」と言われ、ピノキオ並みに鼻が高くなり、いい気分で年末年始を迎えたものです。

 02は前回から更に寄稿者の数が増えて、内容も量も大幅にパワーアップされているみたいです。自分も寄稿しています。去年はエッセイでしたが、今年は小説を書いています。編集部によると、面白いらしいのでぜひ購入して読んでくださいね。

 詳しい情報はラッキーストライクツイッターアカウント(@LSBAT_1)をチェックしてください。よろしくお願いします。

震えている場合ですか?

 昔歌手の西野カナが会いたくて 会いたくて震えると歌っていたが、今の夏の暑さはもう震えている場合ではないな。マンションから一歩外に出ただけで俺もうこのまま死ぬのかな、それとも死ぬ前に今まで自分が犯してきた罪を清算するためにこんなに灼熱の太陽の光を浴びているのかなと思ったもんね。神様、私何か悪いことしましたか? 俺が犯した罪で思い浮かぶのは無職なのに母親のクレジットカードで「明日ちゃんのセーラー服」の単行本を買ったことくらいだが……。そういえば、昔、笑っていいともの前身番組で「笑ってる場合ですよ」って番組があったことを思い出すよね。今の俺もまさに震えている場合ではないが笑ってる場合ですよといった感じだ。何に、って、この暑さではなくてわたくしのこの人生についてですが……。

 わたくしが前回ブログを更新したのはなんと2021年の12月、悲願のヤクルト優勝・日本一について書いた記事で、それ以来約8ヶ月ぶりの更新となるが、この間に何か世の中で変わったことは何か起きたかな……と母親のクレジットカードで契約している朝日新聞デジタルの記事を見てみたら、そうそう、元総理が暗殺されていましたね。大体、ツイッターでつぶやくこともこのブログに書くことももう無くなってきていて、今の俺は朝起きて新聞読んでテレビ見て昼寝して野球を見る生活を送っています。普段俺はこの怠惰な生活ぶりを「ワシャ年金暮らしか!」という風にやや自虐めいて表現しているが、もう年金生活者未満だよ。どうなってんだこの生活は。俺もいずれ「婆さんや、飯はまだかのう」「やあねえ、さっき食べたでしょ」みたいなこと言うようになるのかな。嫌だなあ、老いというのは恐怖だなあと思っていたけど、そもそも俺結婚出来ないじゃん。最近マジで両親からの「孫の顔が見たいなあ」という圧がデカくなってきて辛いよ。やあねえ、アハ太郎、あなたももうありもしない恐怖と虚しい妄想から抜け出してちゃんと現実に目を向けなきゃ。

 現実って、今シーズンの東京ヤクルトスワローズが序盤は絶好調で史上最速でマジックも点灯したのに7月に入り選手たちの新型コロナウイルス集団感染が発生した途端に絶不調に陥って、2位のチームに詰め寄られていることですか?

 そうじゃないよ。だいたいなんで俺は会話する時の手札が野球か相撲か政局か将棋しかないんだよ。ジジイのハッピーセットかワシャア。もっと若者っぽいことしないとダメだよアハ太郎。もう同級生とか結婚を始めてて恐怖でしかないけど、俺はまだ24歳。もっとフレッシュでいなきゃ。

 フレッシュでいようたって……そう思って人の集まりに顔出して旅行するなりしてみたが、やはりこの身最後に残るのは人と会うのは疲れるなという疲労感と寂寥感だけなのである。いや、俺も人と会っている最中は楽しいよ? でもその集まりが終わった後のなんともいえないあの感じ。この感情の浮き沈みのサイクルに疲れるよねってことだよ。かつて桑田佳祐はそれを津波のような侘しさと歌にしたのだ。

 そういう訳で根っからのインドア派の俺は今、エアコンがよく利いた部屋の中でアニメ「リコリス・リコイル」を見ています。このアニメ、いいよね。色々とツッコミどころはあるが、もう俺はアニメ見て「萌え~」としか鳴かない萌え豚キモ無職野郎だから全く無問題だ。何よりも「萌え」が重要だからね。二次元の美少女が出てくるんだから。ちなみに特に俺が「萌え~」と鳴くのは千束ちゃん。ぜひお兄さんのことを踏んでください。いや、踏まなくても結構です。そのゴム弾でお兄さんのことを撃ってください。痛めつけてください。断罪してください。もう震えている場合ではなくなった無職の最後のお願いと断末魔なのです。もう縋るものはそれしかないんです。

 何? 「リコリス・リコイル」はそういうアニメじゃない!? そもそもアニメのキャラクターが一人の無職の男を断罪するはずがない!? じゃあこのアニメダメじゃん。アスカは俺のこと「気持ち悪い」って断罪してくれたからね。

 そしてアニメのキャラクターが俺のことを断罪しないのであれば、逆説的に俺もまだ震えている場合だってことだ。あ~良かった。みんな、アハ太郎はまだブルブル震えています。怖くなったらいつでも森へ帰っておいで。まだ間に合いますから(何に?)

 

 ……いや、間に合ってねえよ!(だから何に?)

2021年のベースボール

 前回のブログ記事で奇跡は起こり得る、それは東京ヤクルトスワローズの優勝であると書いてからもう二ヶ月が経ち、季節はあっという間に冬に突入し、クリスマスの喧騒をひとっ飛びして年末シーズンであり、街を行き交う人々はもはや今年のプロ野球のことなど忘れ去っているかのような振る舞いを見せている。

 しかし、奇跡は起こったのです。それは東京ヤクルトスワローズの優勝という形で、たしかに起こったのです。2021年10月26日に横浜スタジアムでヤクルトは横浜相手に勝利、その試合と同日同時刻に行われていた2位阪神が中日に負けたことによって、マジックナンバーは一気に減って、見事6年ぶり8度目の優勝を決めたのだ。

 青木宣親が真っ先にマウンドめがけてベンチから飛び出し、そして高津監督が胴上げされている光景を滂沱の涙を流しながら見ていた俺は、やはり神は存在すると思ったね。明治神宮の御加護なくて一体どうしてヤクルトが優勝するというのか。春先に「今年のセ・リーグはヤクルトが優勝する」などと言ったら間違いなく狂人扱いをされるに違いないだろうね。みんな、「ああ、96敗のショックがまだ癒えていないんだな」と気の毒な視線を投げかけるに違いないだろうね。そしてまた俺も春先、プロ野球が開幕したときには「まあ、今年は普通の最下位争いをしてくれれば結構だ」と思っていただろうね。

 しかしヤクルトは優勝した。俺に「神は存在する」と思わせるかのような大活躍を起こし、ヤクルトの優勝などありえないと笑う人々に目にもの見せてやったのだ。ヤクルトの選手達が持てる力のすべてを振り絞って奇跡を起こしてみせたのだ。泣くね。泣いたよ俺は。2015年の優勝もドラマチックだったが、今年の優勝は更に格別なものだった。川端康成はかつて『雪国』の冒頭で「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いたが、2021年になってそれは「連敗の長いトンネルを抜けると優勝であった」と書き改めなければならないだろうね。いや、ならねえよ。

 しかし、優勝したからといってめでたしめでたしで終わるほどプロ野球は楽ではない。優勝のあと、さらなる試練がヤクルトを、ヤクルトファンを、そして俺を待ち構えているのだ。一つはクライマックスシリーズであり、もう一つは日本シリーズである。

 1位でペナントレースを終えたヤクルトはクライマックスシリーズファイナルステージで、宿敵・読売ジャイアンツと会敵した。ここで読売を叩き潰し、セ・リーグの真の王者にならなければ日本シリーズには進出出来ないのだ。このクライマックスシリーズ、見るたびにいつも思うけどわずか6球団しかいないリーグの上位3チームがポストシーズンで闘う意味は何なんだよ。曰く興行上の要請だそうだ。これが資本主義リアリズムってやつか? しかし、資本主義の終わりよりも想像することが難しいとされたヤクルトが優勝した今となっては死角なしである。あと、ヤクルトが優位な立場で読売と戦えるので、今後もヤクルトが優勝し読売が2位か3位になった時にはぜひ開催してもらいたい。胸がスカッとするからね。

 そうしてヤクルトは2勝1分でクライマックスシリーズを制した。やはりヤクルトは強い。もう敵なしである。だいたいのヤクルトファンはジャイアンツの菅野が登板する試合は負け試合として数えていたが、その菅野も打ち崩したのだ。偉い! 偉いよお前さん達! ここで再び胴上げ、優勝したときは神宮での胴上げではなかったので、ここではじめて神宮球場で高津監督が胴上げされる。胸いっぱい、夢いっぱいで、涙。ヤクルトの輝かしい未来のあまりの眩しさに、涙。

 しかし、これで終わりではない。最後の試練、その年のプロ野球チームの王者を決める、日本シリーズが待ち構えている。相手はパ・リーグの王者、オリックス・バファローズセ・リーグパ・リーグも前年最下位の球団が日本シリーズを舞台にして日本一を巡って死力を尽くして戦う。奇跡を起こしてきた二つの球団の実力は伯仲で、そこに神は宿る。

 第一戦、第二戦、第三戦と試合の数を重ねるごとに消耗していく俺の精神力と増えていくヤクルトの白星。守護神のマクガフは打ち込まれるなどのハプニングが随所で起こりながら、しかし、ヤクルトは日本一へと徐々に近づいていく。日本シリーズが開幕する前は「まあ、ヤクルトは4連敗しなければそれでいい」などと語っていた俺も、テレビ中継を見る姿勢はどんどん前へ前へと傾いていく。東京ドームで日本一を決められなかったヤクルトは、オリックス第二のホーム球場であるほっともっとフィールド神戸で雌雄を決することになる。

 そして始まった第6戦、俺が思ったことといえば……寒そ~~~。テレビのアナウンサーが気温8度とか言ってたぜ。もう野球をやる気温じゃないよ。ヤクルトが3勝2敗でリードしているんだから、もうヤクルトの勝ちにしてくれよ~。しかし、俺の選手を慮った願い虚しく、ヤクルト打線と相対するはオリックスのエース山本由伸。両チーム5回に1点ずつ入れた以外は全くスコア動かず。流れる時間、白い息、空を切るバット。縺れた試合は12回の表、ヤクルトが誇る代打の神様・天才・川端慎吾タイムリーヒットによってついに動いた。ヤクルトが1点勝ち越し! ついに日本一の時が近付く。

 12回の裏には10回裏から投げ続ける守護神マクガフが変わらずに登板。この日本シリーズ、思えば全てマクガフの掌の上で踊らされていたような気がする。これまでの試合の内容を噛み締めるように思い出しながら、マウンド上のマクガフが、神戸の天然芝のグラウンドに立つヤクルトナイン達がアウトカウントを重ねていく姿を眺める。

 そして――

 オリックスの最終バッター、宗の放った打球はヤクルトのセカンド・山田哲人のグラブの中へ。ファースト荒木へとボールが送球され、アウト。試合終了。ヤクルト勝利。この瞬間、東京ヤクルトスワローズ、20年ぶり6度目の日本一が決定した。

 マウンド上で歓喜の輪が入り乱れ、優勝を決めた時とは打って変わってヤクルトの主力選手たちの目には一様に皆、涙。それを見て俺もまた涙。みんな頑張った。本当によく頑張った。思えば遠くへ来たものである。皆、何もかも懐かしい……。俺はすっかり沖田艦長の心境で、枯れぬ涙を流しながら、日本一の喜びを噛み締めていた。深夜に。

 

 こうしてヤクルトは奇跡を起こし、2021年は東京ヤクルトスワローズが優勝と日本一の栄冠に輝く記念すべき一年になったのであった。ここからがヤクルトの黄金期なのです。

 しかし、たった一年の栄冠で黄金時代と呼べるほどプロ野球は、人生はそう甘くない。それを嫌というほど、2015年の優勝からの低迷期でヤクルトファンは学んでいる。ヤクルトが来年、今年と同じように再び栄冠に輝くかどうかは誰にも分からない。

 分かっていることがあるとすれば、それは一つ。これからもヤクルトの戦いはまだ続くということだけである。人生と同じように。

光が俺を凌駕しすぎだろ

 「最近ブログ書いてないからそろそろ更新するか〜」と思って過去のブログ記事を読んでいたら最後の更新が8ヶ月前だったのでビビったね。光陰矢の如しとは言うけどもうここまで来たら矢の領域を超えて光陰大陸間弾道ミサイルの如しだろ。普段「さっさとハルヒの新作出ねえかな〜」と布団の上で寝転がりながら月日が経つのを待つだけの俺自身がここまでブログ更新をサボっていたのだから、稀少なこのブログの読者も「いや、誰が谷川流の遅筆を槍玉に上げられるんだよ」とツッコミが入るかもしれないね。あるいは、俺と谷川流を相似的に捉える俺の自尊心のパンゲア並みのデカさにツッコミが入るだろうね。

 しかし、8ヶ月という日々は余りにも長い。最後の更新はプロ野球の2021年シーズン開幕前だし(なんならオープン戦すらやっていない)、その時のヤクルトはセ・リーグ最下位候補筆頭だったが、今見るとなんと、ヤクルトは首位を走りそのマジックナンバーは7というところまで減ってきている。ヤクルトの優勝は時間の問題である。マジックナンバーの名の由来は「どうしてこんな弱いヤクルトが優勝出来るんだ? 何かマジックでも使ったのか?」という他球団からの訝しみから来ている。嘘だけどね。

 しかし、8ヶ月間、色んなことがあった。思い返せば……。思い返せば……。今、必死に思い返そうとしているけどプロ野球の記憶しか出てこない。巨人のユニフォームを着てヤクルトからホームランを放つ廣岡大志の姿しか浮かんでこない。おかしいだろこれ。人として何か大事なものが欠落してなきゃこんなに人生の記憶薄くなるわけないだろ。もしかしてこの年齢ながらもう健忘なのか? と疑って過去の記憶を必死に漁ったら昔の嫌なことが大量にフラッシュバックしてシャワー浴びながら声にならない声をあげて、俺はもう──

 単に人間として俺がペラペラなだけだった。今の俺の人間性の薄さ、surfaceを凌駕するね。その精神の薄さと反比例するかのように膨張していく我が肉体にまとわりついた脂肪をひとつまみし「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」と深夜の部屋の隅で呟くのだった。カッコいいこと、言いたいだけです。

 あっ! こんな駄文をつらつらと書いているうちに思い出した! 今年の3月、これまでのエヴァンゲリオンシリーズに終止符を打つシリーズ完結編「シンエヴァンゲリオン劇場版」を観に行きました。良かったよね。俺が特に感動したのはシンジに無理矢理レーションを食わせるアスカのあのシーン。俺もアスカに人間性を全否定された上で罵倒されたい。アスカ、一体どこにいるんだ? このポスターから飛び出してくれないのか? 奇跡は起こり得ないのか?

 いや、奇跡ならある。それは東京ヤクルトスワローズセ・リーグ優勝である。そして、俺の記憶にプロ野球エヴァしかなかった2021年を壮大に締め捲るのだ。プロ野球の日程終わっても後1ヶ月くらい2021年は続くけどね。

 

 

 追記

 上で長々と書いていましたが、実はこの8ヶ月の大半はフォロワーが今度立ち上げた同人誌に寄せる文章を書いていた時間に費やして……費やして……

 大半と言わずとも、8ヶ月のうちのいくつかの時間はフォロワーが今度立ち上げた同人誌に寄せる文章を書いていた時間に費やしていたのでした。

 同人誌の名前は「ラッキーストライク」と言って、自分はそこにエッセイとして「我が名は幻のロストメモリースワローズ」という題のもので書きました。今のところ、好評みたいです。

 今、色んな方法で購入できるみたいなので、詳しくはラッキーストライクTwitter公式アカウント(@lsbat1)をチェックしてください。