自作コラ博覧会 Vol3
はじめに
今年ももう12月だね~と言っていたらいつの間にかクリスマスを過ぎていたので、今年自分が作ったコラ画像を貼り付けて、それについて軽い解説みたいなものをしていくコーナーです。今年で三回目です。
http://achtung.hatenablog.com/entry/2017/11/22/231300
http://achtung.hatenablog.com/entry/2018/12/28/002144
最後に触れますが今年はある事情というか考えから、特に下半期に作った画像はかなり少ないです。数えてはいませんが多分トータルとしても、例年よりも少なくなっていると思います。
僕からのクリスマスプレゼントだと思ってください。
画像
上の三枚はYoutubeとかで一時期流行った(あるいはまだ流行っている)種類の動画のサムネイル画像をパロディしたものです。
一枚目は昭和天皇が近衛文麿に対していい印象を持っていなかったらしいので作りました。二枚目は三浦大知さんが天皇(現・上皇)の在位三十年記念のときに天皇自作の歌を歌うというニュースがあった時に作りました。三枚目はずっと巷を騒がせている彼について昭和天皇が発言したという体で作りました。これはフォロワーに褒めてもらったので結構嬉しく思っています。
お手軽に作れますがその分センスを試されるもので、そこにあまり自信がなかった僕はすぐに作るのやめました。未だにこういうもののパロディを作っている人はいるんでしょうか?
二枚目はちょこっとだけバズりました。
上の三枚は「野原ひろし 昼メシの流儀」という漫画に登場する野原ひろしの一コマを素材に作ったものです。とても汎用性が高い素材なのでやはりお手軽に作ることができます。
一枚目は靖国神社の拝殿で、二枚目は遊就館で、三枚目は911テロ発生のときのニューヨークです。お手軽に作れるし深夜に突発的に作ったためそこまで思い入れがありませんし、僕は三枚の画像の舞台いずれも行ったことがないので、本当にテーマパークに来たみたいなのかは分かりません。
三枚目はちょっとだけバズりました。
グラビアアイドルと美智子をコラージュしました。今となってはなぜこんなものを作ったのかよく分かりませんが、こういったものは得てして「一体なぜ?」みたいな理由だったりします。その証拠(?)に一体何という名前のグラビアアイドルを素材にしたのかすら覚えていません。ごめんなさい。
それなりに作るのには苦労したと思っています。首の角度とか。今こうして見るとやはり影の部分が不自然なのは反省ポイントですね。ただ顔と体はうまくフィットしてくれたのではないかなと思っています。
皇太子(現・天皇)と綾波レイをコラージュしました。月に照らされる綾波レイはとてもセクシーで、アスカ派の僕も思わず熱膨張しそうになってしまいそうですが、よく考えてみればアスカ派だからレイを素材に使ったのでしょうか?
例によって制作理由は一切不明です。しかしこうやって顔を並べてみると、昭和→平成→令和とどんどん天皇の顔に天皇っぽさが無くなっている気がします。こうやって俺も昔を振り返る人間になるのかな。生まれてすらいない昭和の時代のことを……。
「令和」の響きがなんとなく昭和に似ているからというかなり安直な理由によるものです。みなさんは「令和」という元号が発表された時に何を思いましたか? 僕は特に何も思いませんでした。
かなり気に入っている一枚で、今年制作したものの中だと個人的に一番クオリティが高いと思ってます。昭和天皇の顔を含めたら一つの画面の中に昭和が四つもあるわけで、作っている途中にゲシュタルト崩壊しそうになりました。昭和が崩壊してもう30年以上経ちますが……。
特に、菅長官の顔と昭和天皇の顔のコラージュがとても上手く行っていて気に入っています。
そこそこバズりました(当社比)
はじめてブラックホールの撮影に成功した、という一枚を昭和天皇の目に埋め込み背景を銀河にして昭和天皇を透過させただけの一枚です。
なんの思い入れもありません。
毎年昭和の日は何を作ろうか迷いますが、これは個人的に気に入っている一枚です。
鳥はトキにしました。トキが持っているのは原子爆弾で、そして座っている昭和天皇の右隣はニホンザルにしました。特に政治的な意図は一切ありませんが、猿にしました。彼らに降りかかるのはミサイルです。このミサイルは数年前に切り取ったものを素材として保存していたのですが、かなり重宝しています。
そして昭和天皇に跪くのは玉音放送が流れたときの有名な一枚から切り抜きました。おそらく女生徒だと思います。昭和天皇もそうですが、彼女たちの切り抜きも非常に苦労しました。あとこの頃から使っているスマホアプリの調子がおかしくて、制作途中なのにいきなり落ちたりしてデータが消えて、とても困りました。バックアップの大切さは身を以て体感しないと気付けないものです。
ちょうどこの当時読んでいる本が確か阿部和重さんのニッポニアニッポンだったので、その表紙のパロディのつもりで作りましたが、反響があまりなかったのでそれを指摘する人もいませんでした。
今年は「あいちトリエンナーレ2019」の企画展である「表現の不自由展・その後」が大いに話題になりました。思えに炎上方面で。つまりその中で展示されていた少女像と、昭和天皇の肖像を燃やしたあとにその灰を踏みつける、という展示が「不謹慎だ」とか色々とあって炎上したようです。
明かりに群がる小さな虫みたいな僕としてはこれを逃す手はないと積極的に過去に制作したコラ画像をもう一度リツイートしたりして、それなりにバズりました。その一環として作ったのがこの一枚です。
少女像が昭和天皇の生首を抱えながら燃えている画像ですが、かなり楽に作れた割に今までこういったコラ画像の中で一番バズったのではないかと思われるほどで、コスパがいいな~。一応、炎を重ねたりとかそういう工夫はしました。
去年も似たようなこと書いていますが、やはり毎年悩むのは終戦の日です。今年は少し毛色を変えて暗いトーンで統一しました。皇居の前に立つ昭和天皇を呆然と眺める日本兵です。空に浮かぶのは旭日旗と原子爆弾です。
昭和天皇のサイズ感についてはかなり苦労しましたが、今こうして見るともう少し小さくしても良さそうです。ただ、そうすると昭和天皇とは認識し難くなるのが問題です。
空に浮かぶ旭日旗は放射状に伸びている部分が途中の空で切れないように多少は工夫しました。原子爆弾はお遊び程度で入れたのですが今見ると少し余計ですね。
高浜の天皇という未知の称号に心を躍らせたのは僕だけではないと思います。関西電力や原子力規制委員会のメンバーの顔を切り抜いて高浜天皇の胴体とコラージュしました。
個人的に高浜天皇の顔が見切れているのがポイントなのですが、彼の写真の知名度があまりないため単なるおっさんにしか写っていないのがとても残念です。
一応薄っすらと高浜原発もコラージュしてありますが、この画像そのものに反響が一切なかったので、気付いてもらえたかどうか不明です。
緑のトーンに統一したのはなんとなくですが、こういう風にすればサイケっぽいんだろ? と考えていたんでしょうか、結果的に目に優しい画像になりました。
新天皇の即位式典の時に作った一枚です。お気に入りですが反響はありませんでした。
安倍首相が万歳しているのは菊の紋章を背負ったトキです。僕はトキにこだわっているのではなく、その学名が「ニッポニアニッポン」というのに今はもう絶滅していて、国鳥ですらないところが好きなだけです。それを天皇と被らせたつもりです。
背景は曼荼羅っぽいものを適当にセレクトしました。万歳している安倍首相の加工をしなかったのは彼がワンポイントで浮き出ることをイメージし、その狙いはそれなりに上手く行っているのではないかと思っています。
このトキもカッコよく出来たので気に入っています。
僕が毎年上皇・明仁の誕生日にコラ画像を作っているのか、記憶は定かではないのですが、なんとなくこのコーナーのことを意識しながら作りました。今年は作品が少ないことは分かっていたので。
ラスボスっぽさをイメージしていますが、僕自身が上皇にラスボスっぽさを感じたことは一切ありません。彼の口から伸びているのはかつてあったとされる出雲大社の古代の本殿へと通じる階段です。皇族と出雲大社をコラージュしたのは皮肉でもなんでもないです。今気付きました。
万歳している安倍首相は個人的に気に入っているので、またいつか再登場するかもしれないです。
さいごに
先程も触れましたけど、今年は「あいちトリエンナーレ2019」の年でもありました。日本社会で浮き彫りになったこの芸術祭への反感として現れた尊王感情の衝撃と余波はまだ続いている感じがしています。僕もここまで話の規模がデカくなるとは思っておらず、衝撃を受けている一人です。
今更少女像とか昭和天皇の写真燃やしたくらいでなんだってんだよの感があります。特に今年は京都アニメーションへの放火で36人も亡くなっているので。
ニュースを目にしながら徐々に自分もこういったコラ画像を作る気が無くなっていきました。僕は特に政治的な意図とか主張とかもなく、またこういった笑いの取り方(少なくとも僕は面白いと思ってこういったものを作っています)はかなり古典的で凡庸だということは自覚しています。
その上で純粋に面白いと思っているから作り続けていたのですが、こういう社会に俺は住んでいるんだと認識してからうまく作れなくなっている気もします。もちろん、発想のキレの衰えとかもありますけど。
凡庸な笑いはその凡庸さから逃れるために徐々に先鋭的になっていきチキンレース化していくと思いますけど、結局それは凡庸さの中で繰り広げられているものなので、やっていてしんどい時が今年の下半期はかなり多くなり、手につかなくなってしまいました。
昭和天皇という存在については未だに僕は結構魅力的だと思っていますが、彼やその家族についてこういう方向性の笑いでしか捉えられないのははっきり言って情けない。そのことを今年は強く認識しました。
「天皇制」という既存のコードを茶化しているだけで本当にいいのだろうか? この問いは来年以降も常に僕の中にあり続けるでしょう。