布マスクがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

 いや、来ないよ。

 全世帯に布マスク配布という衝撃のニュースから数日が経ち、ぼちぼちと他の家庭に布マスクが届き始めたとき、どうやらその配布される布マスクが不良品だとかなんとかで配布中止が決まってしまった。俺は布マスクにも見放されるのか……。

 安倍政権はたった数枚の布マスクで俺に人生の厳しさを教えてくれた。緊急事態宣言が発出されてからの東京は基本的に晴天が続き、会社が休みなのでずっと家にいる母親が布団を干しながら空を見上げ「皮肉だね……」と呟いていて、なにかフィクションのワンシーンじみている。

 しかし現実は厳しい! 俺は財布の中に600円しか入っていないことを確認すると、自動販売機で缶コーラを買い、ゆるやかなカーブがやがて大通りに合流する道路を眺めながら「ここも人がいなくなっちまったな……」と呟いた。嘘、俺が住んでいるマンションの隣の工場は頑張って稼働していてうるさいくらいだ。

 俺の中での夢と現実の記憶の区別が付かなくなりはじめて久しく、この独特の感覚や不意に訪れるウルトラ強烈なデジャブのせいで俺の存在ってフィクションなのかな~と疑い始めているが、お気に入りのAV女優が喘いでいる姿をディスプレイ越しに眺めていると「うーんどうやらここは現実っぽいぞ」と無根拠な直感が降ってくるので、どうも俺は下半身で思考しているらしいことがここでわかる。

 しかしフィクションじみているのはどうも世界の方っぽいのはここ3ヶ月くらいの狂騒でわかってきたことで、我が家の小さいテレビが都知事なり総理大臣なり大統領なりの会見の様子を貧乏人の家庭にしてみてはやけくそみたいに豪華な晩飯を食いながら見るというのはやはりちょっと戦時下体制っぽいな、と一体なにがどう”やはり”なのか判断ができないまま思っていたりもする。

 土日は流石に隣りにある工場も働くのをやめて、静寂が戻ってくると、朝にカーテンと窓を開けて入ってくる音の少なさに驚く。やはり人がいない。マンションの前でバスケットボールの練習をし続ける少年のドリブルの音とか、公園に遊びに行く小学生たちの騒ぎ声みたいな休日の音の光景が一切ない。

 しかしながらテレビやネットニュースが伝えているところによると、感染者の数は日毎夜毎に増加の一途をたどり収束の目処はつかず、人々はなにか発情したかのようにアフターコロナはやれどうだのと星占いみたいなことを言い続けている。

 果たして世界が、時代が俺に追いついてきたと思っていたがやはり俺が単に周回遅れになっていたらしい。ずっと部屋にいると運動不足になるもんな、もともと長距離走苦手だったし。

 さて俺よりもはるか先に行く人々はいったい体のどこで物事を考えているのか(当然頭だろ)、特に気にもなっていないことを気にしているような素振りをするだけは得意な俺も表情を作って一生懸命考えているふりをしている。やはり、俺は計画性のない無職、流し流されて生きるのさ。

 あ、そうそう、両親がずっと家にいるので狭い我が家では俺の性欲処理のタイミングがつかめず困っている。もういい年なんだし、いい加減下半身で物事を捉えるの、やめにしたいぜ。