僕らが年金を払わない理由

 一月は行ってしまう、二月は逃げてしまう、三月は去ってしまう……はよく聞いた言葉だが、そうすると九月は惨めでひもじい九月ということになる。

 親父に貸した金が帰ってこないもんだからもうどこにも出かけない九月だ。財布の中身200円とかの日もあって、缶コーヒー買うのにすら躊躇するからな。無職本来の生活レベルってこんな感じなんですかね?

 友人の誘いを断り部屋の中で瞑想する毎日。瞑想はいいです、世界と俺の関係がそこで切断されるから。って、それじゃあ引きこもりの俺は常に瞑想しているようなもんじゃん。やっぱ悟りに近づくには人里離れたところにいるのが一番だな。江戸っ子だけど。

 本当にやることがない。まあ無職も四年目に入ればやることはなくなるってね。先月はそれなりに本をつまみ読みしてた気がするけど、月をまたいで本を開いた記憶がない。寝転がりながらバーチャルユーチューバーがカバーした小沢健二の曲を聴くだけの毎日……これって小沢健二の詞っぽくないですか? どこが?

 他の無職の間で深夜徘徊はかなりメジャーな趣味らしいが、そもそも外に出かける気力が一切ない俺は徘徊すらしない。もう無。無職じゃなくて無。多分俺から宇宙が始まるんだと思います。トンネル効果的な。トンネルを抜けたら無職の部屋だった……。そら川端康成も自殺するわな。

 こうも毎回無職の日常ばかりをブログにしていると段々それすらも飽きてきて、ブログの更新も面倒くさくなり、ついに何も生産的なことをしなくなり、杉田水脈から罵倒されるのも頷ける。

 趣味が……何か能動的な趣味がほしい。でも悲しいかな趣味には金がかかり、俺は金を稼いでない。収入ゼロ。永遠のゼロ。働こうと思っても前ちょっとアルバイトしてた時期のトラウマが蘇ってきてもうだめだ。働けない。いつでも探しているよどっかに君の姿をの君ってめっちゃ俺に都合のいい求人情報のことだったんだって。

 やることないからもう寝るしかない、今日なんか15時間寝てて自分で引いたもん。何も疲れてないのになんでこんなに眠れるんだ? 不思議だ。人体の神秘だ。 やっぱ無そのものになったからかな。宇宙創生のためのエネルギーを睡眠によって溜めてるらしい。そんな馬鹿な。

 Twitterのタイムラインを見るとみんなどこかで生活しているその残像なり痕跡なりをしっかりツイートしていることがわかって、その先に続く人生を想像させるが、さて俺のツイートは……惨めでひもじい無の毎日がにじみ出ているだけだった。

 ついにインターネットでも居場所を無くし始めた俺。かかってくる年金事務所からの電話。免除申請の方法をべらべら話しやがって。俺もうそれ何回もやってるからいちいち説明しなくていいですよ。無職ですと言って「あっ……」。バーカ。いい年した男が年金払ってないんだったらどう考えても無職だろ。しかも電話に出たの昼下がりだし。

 みなさんは年金払ってますか? パンダとかゾウとかは年金払わなくて済むからいいよな。パンダはともかく俺もゾウのような寡黙さと存在感を両立させる男になりたかった。上野動物園に行くたびにあの雄大さに心が動かされるよな。ゾウの動きには人生の答えが詰まっていると言っても過言ではない。

 だから、やはり俺も生活をしなければいけないというこのブログの安牌っぽい着地点を見つけるが、そうは言っても無なんだから生活なんかないよ。飯食って寝るだけだもん。これ多分微生物でもできますよ。これ生活じゃなくて生だもんな。活がほしいよ活が。

 こうして俺は喝を求めてYou Tubeに違法アップロードされているサンデーモーニングのスポーツご意見番コーナーを見るのであった。こんな終わり方でいいのか? 張本さん、せめて俺にアッパレを。