人生が日常系アニメだったなら

 はるか太古の歴史においてTVアニメ「日常」が放送されていたと思うんですけど、今見返すとあ~俺もこういう日常送りたかったな~としか思わないよな。まあ高校を卒業してもう3年以上が経つのに未だにこういうこと言ってるほうがよっぽどヤバい日常だけどさ。

 マジで同じサイクルの生活を送っていると目に入るものすべてが一度は見たものではないかという感覚に襲われるが、そういうデジャヴュを恐れて秋葉原に行こうとしてもそもそも秋葉原にも結構行っているわけで、あ、そっか、今生活を送っている俺じゃなくて、世界が一巡してんだって啓示を受けるよね。どこから? ソフマップとかに掲示したる美少女アニメの巨大垂れ幕から。

 この生活の一巡を恐れて俺の自律神経はぶっ壊れました。俺が壊したわけじゃなくて、生活リズムがプログレバンドみたいになっているのは自然な防衛機制なの。両親とかはそういうところがわからなくて困る。どんなに早起きしても一週間も保たないで崩れるんだから、これはもう運命レベルで生活が破綻に向かっていることなんだよ。

 破綻への道は意外にスピーディーだな~と思うけど、光速に近づいていく道のりというか、体重が100キロを超えるまでの道のりと似ていて、85キロを超えるまでは一瞬だったけど、そこから100へとたどり着くには結構長い時間かかる……。いや、俺はあっさり100キロ超えたけどね。破綻といい肥満といい、ネガティブへの成長には才能あるな~俺。

 まあ生活リズムがいくら崩れようが結局再生と崩壊のプロセスを繰り返してるのなら生活が一巡していることと変わりなくて、やっぱ呪われてんだなと思うよ。というか運命レベルとか関係なく純粋に俺が不健康で不摂生なだけだと思う、無職の引きこもりだし。この前精神科で「生活リズムがガタガタで~」って言ったら「いや、日光浴びればいいよ」って真顔で医者に返されて、「あ、こいつマジで薬出すしか能が無いタイプの医者だ」と肌で感じたもんな。

 あ、そうそう、この前高校の友達と釣りに行きました。東京湾へ、光る海を見に行きに……。特に左へカーブを曲がる必要性もなく見えたのは隅田川より汚い色した海だったけど、釣り自体は楽しかった。途中までは一切釣れなかったんだけど、やっぱ漁師の息子なのかな? 途中からはバシバシ釣れました。釣れすぎて若干飽きたもんな。釣りってもっと「己との向き合い」感あると想像してたけど向き合ってたのは海面上に浮かび上がる油だけだった。友達はもっと釣ってたけど。

 クーラーボックスの中に入った魚の大群が結構グロテスクになってた。間桐桜を嬲った蟲みたいな感じで、まあPG-12はついてもおかしくなかったよ。そういえば涼宮ハルヒとウナギの同人誌が……この話はやめよう。誰も幸せにならないから。

 海に着いたと思ったら急に暑くなるわドラキュラだったら即死しているレベルの日差しだわで大変だった。そろそろ準ドラキュラを襲名してもおかしくない俺も死にそうだった。実際日焼け止めを持って行かなかったので腕が焼けてしまって、日焼けする引きこもりという世界に対するバグを提示してしまったしな。やっぱ運命レベルで世界に存在することを許容されてないんですかね?

 その後早めに解散して久々に厭世宅に行った。久々の厭世詩家は楽しそうだったが、なんか恋人と巡り合って幸福になったことについて悩んでそうで、やっぱあいつ存在が文学してるんだ~と改めて感心したよ。俺も早く存在を文学に昇華させたい。

 結局、このように日々繰り返しながらどこか微妙に違う世界を過ごしているが、もしこの人生に飽きが来て、神的なものが呪いから俺を解放し、俺が生まれ変わって日常系アニメの登場人物になり、日常系アニメ的日常を過ごしていたとしても……きっとまた、同じようなことを言っているかもしれない。涼宮ハルヒと中原岬をどこかで探しながら。