喫茶店になりたい

 この世の中で、例えば東証一部上場企業の社長の子供になったり、あるいはスーパーモデル並の容姿を持ち美を極めたり、野球や将棋など、なにか特別なものの才覚に恵まれたり、あるいは皇族になったりするよりも遥かに難しく、そしてそれさえあればもうすでに人生ゲームだとゴール地点にいてもうオールオッケーなものが一つだけ存在する。

 「実家が喫茶店である」

 そう、これこそが23歳になる誕生日を目前にした今、俺が思う人間がたどり着く唯一の正解なのである。

 実・家・が・喫・茶・店・で・あ・る。舌の先が口蓋を行ったり来たりしている間に下町の通りに面した行きつけの喫茶店でかつては乙女であったおばちゃんが卵を焼いたりしている。

 かつての日本人はトホカミエミタメという八種の言葉に深遠なる神秘性を感じ、一つでは遠神恵賜と、もう一つでは吐普加身依身多女と字を宛てて祝詞の言葉にしていたという。歴史的にはるか遠いところにいる人々を現代の文明レベルから蔑むことは現代人がしばしば犯す過ちの一つだが、ここで誤解を恐れずに言えば、なんとまあ気楽な心構えだと思わずにはいられない。「実家が喫茶店である」この言葉たちに比べれば、トホカミエミタメの持つ神秘性などはたかが知れている。

 一体「実家が喫茶店である」の何が俺をここまで惹きつけるのか? この問を俺自身に投げかけたところで上手い答えは帰って来ない。ある日いきなり「そうか、人生の答えとは、実家が喫茶店であるということだったんだ」と思いついただけに過ぎない。しかし、根拠なき思いつきこそ天啓なのである。根拠がある思いつきはただの論理的思考による帰着に過ぎず、天はそのすべてを飛躍した上に存在する。だからこそ古代の日本人はスメラミコトという字に天皇という字を宛てたのだ。

 しかしこの天啓は同時にある種の不可能性を提示する。「実家が喫茶店であることが人生の最適解である」と思いついた俺はもうすでに実家が喫茶店ではないのだから。実家が営む喫茶店を人が想起するとき、人はまた一つの限界に閉じ込められるのだ……。

 そんな、神よ、私を見捨てるのですか。

 いいや、そんなはずはない。神はちゃんと見ている。3歳の頃の俺が当時あった近所のダイエーのお菓子売り場でコアラのマーチが欲しくて泣き叫んで駄々をこねていたが、今思うとなんてちっぽけな祈りであることよと笑みを禁じ得ない。今俺は駅前のタクシープールのど真ん中でのたうちまわりながら神に祈りを捧げている。

 今、母を連れる小学生男児不二家から出てきて俺のことを笑いながら見つめている。君、大人の人をバカにしてはいけない。今君がチョコレートケーキ欲しさに泣いていたあまりにも弱すぎる祈りにしてみれば想像すらできないほどの祈りを、俺は今捧げている。亀の甲より年の功とは昔の人も上手いこと言ったと思うが、付け足すのを忘れていた。今の時代、チョコレートケーキより喫茶店なのである。

 しかし、俺はタクシーの運ちゃんたちに「邪魔だよ」と怒鳴られて無理やり引き剥がされている中で、一つの恐ろしいことを思いついた。

「もう実家は喫茶店にはなれない。だが、今の俺なら、この強靭な祈りを身に宿した今の俺ならば、喫茶店になることだって可能なはずだ。喫茶店の店主になるのではない。人の世は短い。だが喫茶店そのものであるとすれば、それは時を貫く一つの発生にほかならない……」

 

 カフェ・アハ太郎は東京23区東部の下町エリアで密かに人気を集める名物喫茶店だ。オーナーは田中アハ子さん78歳。その年齢から受ける印象とは真逆の若々しさでこの喫茶店を一人で切り盛りしている。

 コーヒーが一杯300円(税込)。個人喫茶店ではあまりにも格安なコーヒーからは想像できない芳しさと豆本来の味も、アハ子さん特製の一品だ。カフェ・アハ太郎に集う人々は、座ったら二度と起き上がれそうにもないほどの心地の椅子に腰掛けながら、アハ子さんと共に軽妙なトークとコーヒーを楽しんでいる。

 しかし、何よりもこの店で有名なのがエビピラフ(税込450円)。この味のクオリティーははっきりと言って喫茶店のレベルを飛び抜けている。朝昼夕とお客さんの心と胃を掴んで離さない。小さな喫茶店なのにいつも席が埋まっている理由が分かる。

「喫茶店なのに目玉がコーヒーじゃないってのは複雑だけどねえ」

 アハ子さんが困ったように言うと、常連客たちがどっと笑う。アハ子さん流のジョークで、寒い冬の夕方も暖かくなる。

 帰り、勘定を済ませるとアハ子さんが「また来てくださいね」とにっこり笑う。お釣りの250円を受け取りながら、またカフェ・アハ太郎に来ることを考えない客はいないだろう。どんな目玉メニューが並んでいようと、このプライスレスなアハ子さんの笑顔こそ、最高の贈り物なのだから――

 

 ところで俺は今この文章をマックスコーヒーを飲みながら書いている。なんでかって? 普通のコーヒーは苦くて飲めないんだよ。