街歩きに耐えうる体力がない

 この国に生きるありとあらゆる生物がもう分かっているように今年の夏の暑さは全く異常で、去年新しくした我が家の冷房の温度をどれだけ下げても快適な室温が失われたままで、新しい生活様式の本当の意味は新型コロナウイルスについての話ではなくこの暑さについての話らしい。

 こんなに異常な暑さだと夏へのノスタルジーなどというものは一切発生する余地はない。だいたい女の子が一人でこの灼熱の夏に突っ立ってたら熱中症で死ぬで。白いワンピースと麦わら帽子に捏造された美しい記憶を重ねられたのは当時の日本が平和だったかららしいね。あの美しい時代は一体どこへ……。いや、俺産まれてないけどさ。

 しかしそんな灼熱の東京の街の中で歩みを進める男の影が一つ。何を隠そう俺である。母方/父方の両方の祖母から貰った小遣いをガッチリ財布の中へ入れて秋葉原に降り立ったのだ。正直、自分でもどうかと思うよ。お小遣いあげる立場なのはお前だろと言われても何も言い返せないよ。でも俺はいつまでも甘えていたい。この社会構造に可能な限りフリーライドし続けていたい。親戚の子供たちにお年玉あげたくない。というかそもそも親戚の集まりにもう呼ばれない。俺は歴史から抹消された男。

 東京は最早コンクリートジャングルではなくてただのジャングルである。山手線から降りてすぐに吹き付けてくる熱風。体にまとわりつく汗。まるで泳いでいるかのような湿気。「あのデブ平日から秋葉原かよ」という周囲からの視線。そういった全ての重荷を背負いながらゲーセンへと向かう。少し目に涙を浮かべながら。

 秋葉原駅からゲーセンへと続く道は距離にしてもう滅茶苦茶に短くて300mも離れていないと思うが、それだけでもこの夏の異常なものがわかった。「夏は暑いもんだろ」ってたまに言う奴がいるけど、そうじゃないんだよ。暑いもんは暑いんだよ。「暑いって言ってると余計暑くなるよ」って言う奴もいるけど、口に出す出さない関係なく何人にも容赦無く干渉する暑さなんだよ。夏の前に人はみな平等なんだよ。悪しき平等だけどな。

 夏への怒りを己のエネルギーに変えて音ゲーをプレイするが、そもそも暑さのせいで集中力を欠いていたのでスコアは大して伸びなかった。ゲーセンの中も暑いのはどういう理屈なんだよ。オタクのせいか? 夏場に秋葉原に集まる人のせいなのか? 人類の罪の果てしなさに想いを馳せながら、秋葉原の路地を歩く。これ以上金を無駄にしたくないから。

 秋葉原の道を占めるのはメイドの客引きと外国人観光客とオタクとビジネスマンである。ただコロナ禍によって観光客もビジネスマンもいないので、おおよそメイドしかいないということになる。1人のメイドを見たら300人のメイドがいると思えとは有名な言葉だが、この秋葉原の裏路地に所狭しと並ぶ300人のメイドの集団を見て俺は一体何人のメイド達を思い浮かべたらいいんだろう。デトロイトってゲームに多分こういうシーンあったよな。俺はあれをYoutubeのゲーム実況で見てたから詳しいんだ。

 しかし太陽は未だに照り続けている。俺たち日陰者の存在を許してくれない。囁かれる「暑いね〜」買っていたソルティライチが底を尽きてもう限界だと思って別のゲーセンに避難していた。そしてしっかり金を無駄にしていた。折角貰ったお小遣いが……。何の生産性もない遊びに繋がった日本銀行券のことを供養するために、意を決して灼熱の裏路地へ再び飛び込んだ。もう帰りたいし。

 気付けば陽はゆるやかに沈みはじめて心なしか道行く人たちの姿が多くなってきた。俺は結局1日と金を無駄にしてしまった……。日本は本土決戦をするべきでした。そのことを確かめるためにブックオフへと立ち寄った。めぼしい本はなかった。漫画コーナーで立ち読みしている人たちの間を通り抜けるために「すいません」と小声で言いながら本来謝るべきは通路を占領し続けるお前達の方だろという謎のイライラが積み重なっていくだけだった。募る敗北感と焦燥感。戦後の夏、ニッポンの夏、俺の夏。

 苦し紛れに書泉ブックタワー柳田國男遠野物語を買ってまた山手線の中へと逃げ込んだ。ラッシュアワーに巻き込まれていた。デブだし、汗でベトベトだし。ほんの数駅の間だけなのに堪え難かった。働きたくなくなった。人々の目に光はない。俺も多分そうだろう。夏よ、なぜ私をお見捨てになったのですか。山手線の中は無言で満ち溢れる。暑さが殺気に変わりつつある中、限界だと思って飛び出たホームが最寄駅だった。電車から吐き出された人々によってほとんど運ばれるようにしてエスカレーターから改札へと向かった。

 ようやく帰宅した時、俺はまた目に涙を浮かべていた。文明の風。冷房の風。その身に科学技術を浴びながら水道水をコップ一杯に入れて一気に飲み干した。熱中症になりかけていた。フラフラしていた。人生が? いや、世界が。

 シャワーで汗を流してコカコーラを飲み干した。テレビを点けると東京ヤクルトスワローズが負けていた。そうして、フラフラしているのは俺の方だったということに気付くのだった。