ノーベル生活賞

  気がついたら10月になっていて、気温が野茂英雄のフォーク並みの勢いでゴリ落ちしていって、まるで俺の人生を折れ線グラフで表したらこんな急降下が出てくるに違いないと思わせる。

 いや、もう10月じゃん。

 俺の三浪が決まって今年一年は頑張るぞと決めてからもう半年過ぎてるじゃん。

 ……悠久の時、経ちすぎ。

 ……月日、百代の過客すぎ。

 2018年もラストスパートかけてきて、こっから先はノンストップメドレーで毎日が過ぎていくのだと考えると俺もウカウカしてはいられないなと思い気を引き締めるのですが、引き締めたところで別に生活が改善するわけでもねえし、俺が気を引き締めたところで何も変わらないし、何もしたくねえし、働きたくねえし、私は毎日元気で~す。

 なんかもう、プロの生活者になろうかな。ロープーの。プータローだけど。

 生活をやっていた。皆さんの生活が何なのかはまったく知らねえし送りたくもねえが、この一年はマジで確固たる生活があった……ような気がする。

 朝起きて(大体起きてねえけど)本読んで(ずっとアニメ見てるけど)軽く出かけて(半分引きこもりだけど)夕方は家族団欒で過ごして(常に誰かキレてっけど)夜には寝る(オナニーしてるけど)。そういう毎日の生活があってもいいんじゃないか。無職には無職の生活が、平成狸合戦ぽんぽこ並の無職だって辛いんだよォがあっても、いいんじゃないか。

 いやダメだろ。全然生活してねえじゃん。なんだこれ。猿か俺は。これダメだ。人間としての生活送ってねえよこれ。穀潰し以下だよ。親泣いてたよ。「アハちゃん、ちゃんと働いてよ」って、「来年から社会復帰してよ」って。知らんけど。

 この前言われてビビったのが「携帯代は自分で払ってね」だ。これ要は働けってことだろ。高卒無職三年目の息子に働いてねって言う母親狂ってるだろ。働けるわけねえよ。人と話すのが怖いんだからよ。人が怖いんだからよ。お前も怖いんだからよ。みんな怖いんだからよ。その癖みんな俺のこと笑ってるんだからよ。

 そういうとき無職の息子に出来る最後の抵抗は薬飲みまくって狂言の自殺未遂をやって、両親に俺のことを「保護すべき対象」「哀れな一人息子」として再認識させることです。これマジで効果的だからみんなも試してほしい。一人っ子は効果抜群です。どの親も子供が死んで喜ぶ親はいない……と思う。特に実家に無職飼ってるような親は100%子供かわいいに決まってるから。俺たちはそんな親心に忍び込んで飯を食いつないでいくのだ。何、良心の呵責を感じることはない。そもそも親が産まなけりゃ俺はこんなに苦しい思いしてなかった訳なので、責任は親が悪い。誰も産めなんて頼んでない。これはミュウツーの逆襲でも言ってたから確かなことです。

 特に俺の場合はまあまあの高齢出産で昔は可愛げがあって利口な子供だったので、そういうやつが心折れて精神的に傷を負った無職になるともうこれは最高に親のスネかじり虫確定な訳。俺この前働いてる友達に「親のスネ、かじってんな~」って感心されたもん。そういう道に関してはプロなのだ。

 ある日の夜明け、父親が仕事から帰ってきた。スーツから部屋着に着替えて、顔を洗って、まだ起きていた俺に食い物を渡した後、いつものように缶ビールを冷やしたグラスに注いで、つまみを電子レンジで温めていた。大男二人がいるには狭苦しい居間にあるテレビでは、B級なんだかC級なんだか分からない洋画が流れていた。黒人が拳銃を撃ちまくっていた。親父はなんだか腑抜けた顔でビールを飲みながらその映画を見ていた。長い間、黙っていた。やがて一言だけ、こう口に漏らした。

「アハ太郎、資格試験の勉強でも、しないか」

 俺は何も答えず、いや答えられず、少し辛すぎるチョリソーをかじりながら、親父と同じようにその映画を見ている。

 ……そういう具合で、日々の生活を送っていた。