僕らの世界が侵略されてるってマジか?

 アニメは手軽に世界が侵略されるのでいいよな。俺の日常はじわじわと何者かによって侵略されているが、そもそも何者かに侵略されているというのがメチャアバウトなので誰に侵略されているのか分からない状態では対策など取りようがないわけであって、とりあえず卑近の「あ、これ侵略されてるな」という現象は最近露骨に両親が俺に対して「働け」という圧を倍増してきたことにある。

 とりあえず最終防衛ラインを俺の部屋のドアに設定したが、最終防衛ラインが俺の部屋ということは俺が部屋を出たら本丸はがら空きになってしまうことであって、これって俺の引きこもり化が加速しないか……と思っていたが、古来より侵略に対する有効戦略はとりあえず引きこもって時期をうかがってカウンターだ。振り飛車に対して居飛車穴熊が有効だと我らが渡辺明先生も仰っている。

 というわけでカウンターを行うべく地域社会への哨戒任務を開始した。まず髪の毛を切りに行った。あ、こいつ無職だなと思う一番のポイントは髪の毛が長いくせにセットしてない男です。こういう男を見つけたら間違いなく無職だと思っていい。無職はまず自分の身なりを気にしなくなる。髪切りに行くのも面倒くさくなるわけだ。そもそも俺デブで醜いアヒルの子だから髪の毛とか気にしてもしょうがないし、でも世間はそういうの関係なく容赦なく俺に社会不適合者だと烙印を押そうとするよね。21世紀もそろそろ20年経ちそうなタイミングでまだ人を見た目で判断してるの? まだ東京で消耗してるの? まあ働いてないんだけど。

 髪の毛切りに床屋に行ったら店員全員暇そうに新聞読んだりくっちゃべったりしていた。あれ、こいつら暇なのか? 俺とあんまり変わらなくないか? こいつら髪切れるだけで金貰ってんのに暇そうにしてんのか? なら髪くらい俺で切ってやるよ! と叫びそうになったが、俺は髪を自分で切れないから床屋に来ている訳なので、キョドりながら散髪してもらった。

 この床屋にはもう15年くらい通ってるんだけどメンバーの変更が一切ない。というかこいつら老けてない気がする。「こいつ唐突に腕が震えて俺の喉にハサミ突き刺したりしないかな……大丈夫かな……」みたいなジジイが15年くらい同じ顔で髪の毛を切り続けているし、そろそろマジで死亡事故でも起きそうだが、金髪のお兄さんが担当したので九死に一生を得た。

「あ、この髪の毛の半分くらいの長さで……」

「はい。シャンプーと顔剃りはどうしますか」

 15年近く通ってるけど俺は一度足りともシャンプーと顔剃りを欠かしたことはないだろ。わざわざ余計な質問して会話の数を増やすなよ。そもそも平日の昼間にあからさまに無職然とした格好の大男が来店してるんだから気を遣えよ。俺は常連なんだよ。というか15年も通っているということは俺の幼少時代を知っているわけで、この店員も俺のことを「あんなに利発そうだった坊っちゃんがこんなデブのオタクの無職なんかに……」とか考えたりしてんのかな。最近マンションの管理人が露骨にそういう視線をよこすんだけど俺の考え過ぎか? なあ誰か教えてくれよ。誰か本当のことを俺に告げてくれ。

「あ、お願いします……」

 情けない俺。この時点で羞恥で泣きそうな気分。鏡の中の俺が無表情で俺のことを見つめている。敗色濃厚。

 ところで俺は15年間この床屋に通っているわけだが、店員とした会話は「この髪の毛の半分くらいの長さでお願いします」「シャンプーと顔剃りもお願いします」しかない。15年間沈黙の男。自分で言うのもなんだがマネキン相手に髪切ってたほうがまだやりがいはあるだろう。マネキン、カッコいいしな。

 いつもなら一人か二人はよくもまあそんな話す話題があるものだと敵ながら(俺以外の人間は全員敵なので)感心する白髪で若干ハゲててお前もうそれ髪切る意味ないだろあとは抜けていくだろその頭はみたいなジジイがいるものだが、先程も言ったように今日は客が一切いないので、ずっと沈黙。15年間通っているおかげで店員も「このデブは愛想悪いし小声だし話もしないやりがいのないゴミ客」と認識しているようで彼らから話しかけることはまずない。一度それを普段俺を担当していない女店員がやったが、俺の圧倒的コミュニケーション能力の前には通用しなかった。「はい」「凄いですね」「僕もそう思います」会話三種の神器の前にイレギュラーは存在しない。暖簾に腕押し糠に釘俺との会話。

 ところで俺が顔を剃って貰っている間、女店員二人がやたらでかい声で思春期を迎えた我が子がどれだけ臭いかを自慢しあっていたんだが、そういうの恥ずかしくないのかな。良くないと思うな。俺がその店員の子供で、母親が職場の同僚と自分の息子の耐え難い体臭について話し合っていると知ったら発狂して喉にハサミを突き刺しかけない。というか端的にそれ俺への悪口だよな? 俺のこと臭いって言ってるんだよな? 女々しい奴らだよ。俺のことが臭いなら臭いと言えよ。ちなみに俺はこうやって店員に「こいつ臭いな……」と思われたくないので床屋に行く前は必ず風呂に入っている。都会人の常識だろ。

 耐え難い恥辱を耐え忍び難い罵倒を忍び散髪が終わった。2000円。俺はヒッピーに感化されたデブオタク、みたいな見た目から出来損ないの習近平みたいになった。親父は髪を切り終わった直後の俺をよくサモ・ハン・キンポーに擬える。俺も似ていると思う。どこにもジャッキー・チェンはいないし、ここは香港ではないということを除いては。

 髪を切るだけでこんなにつらい思いをするのに社会に出るのなんて無理。むしろ社会が俺のところに来いよ。俺、江戸っ子だよ。保護しろよ俺をよ。敬えよ。尊べよ。貴重な存在だと思い込ませろよ。生きる価値がある人間なんだと認定しろよ。

 叫びは声にならず空中を漂っている。声に出してないから当然だ。