辛苦,辛苦,辛苦

 Sing,SIng,Singをyoutubeで検索していたら、京都橘高校という学校の吹奏楽部がマーチング・バンドで演奏している動画があったので見ていたが、演奏そっちのけで女子高生のコスチュームがエロくてそこに夢中。今必死で「女子高生 エロ動画」で検索している、哀れで醜いキモ豚オタク無職が俺です。

 年末だが、無職は仕事をしていないので仕事納めもなく、忘年会的諸々行事もなく、そもそもこの一年を振り返った時なにか行動をしていた印象が極端になくて、どうせ落ちるのに大学受験の勉強してたりとか他人の喧嘩の仲裁とか睡眠薬を変えるとかそんなことぐらいしかやっていなくて、ディスイズ空虚。

 空っぽのほうが夢詰め込めるらしいが、もうすぐ21歳になる高卒無職に抱ける夢なんかないわけで、俺は慌てて北海道に向かいクラーク博士に一体どうすればいいのか身の上相談をしようとしたが、クラーク博士の名言は「少年よ大志を抱け」で、俺もう少年じゃないじゃん。青年じゃん。

 青年の日常は切ない。いつ起きるともしれずに惰眠を貪った後によろよろ起きて適当に冷蔵庫の中を漁ってタバコを吸ってゲームするなり動画とかアニメ見るなりして一日が終わっていく。運が良かったりコンサータを飲んだりしてたら読書がプラスされる。一日の歩数は100どころか多分50超えない。まず外に出ない。外に出ないと面白いことに出会うことがなくなってくる。結果、面白くない人間になっていく。

 バカね……なら外に出ればいいじゃない……。バカだから大学受験に失敗してるんだよ。そもそもお金ないし、外に行く目的ないし、学校ないし、家庭もないし、暇じゃないし、カーテンもないし、花を入れる花瓶もない。なあ……俺が生きてる意味ってなんだ? 壁に貼ってある涼宮ハルヒのポスターは何も言わない。カーテンから漏れた陽の光が部屋の中に入ってきて、ハルヒを照らしている。俺は泣きながらすがりついている。ハルヒはこんな俺を無視して当然だ。

 ところで交響詩篇エウレカセブンというアニメがあって、これ全部で50話あって続編まで入れたら74話くらいあるんで、一週間くらい暇を潰せそうだな~と見始めたら思いの外ハマっちゃって3日で全部見ちゃったよ。こういう計画性のなさが今の俺の無職という惨状に繋がっていくんだろうなと思って、思わぬ伏線回収に興奮しちゃったよ。

 エウレカセブン、いいよね……。エウレカが素足でブーツ履いてるところが一番いいと思った。踏まれたい。今慌てて「ブーツ エロ動画」で検索してます。性欲の獣か俺は。ショートカットの女が俺見下して踏んでくるシチュエーションが最高に興奮する。思えば好きなキャラクター大体ショートカットだし、現実世界だと俺のこと見下してきそうだな……さくらはそんな娘じゃない!!!!

 まあ内容でもボロボロに泣いちゃって、まあ俺は最近かなり涙腺がボロボロになっているから箸が転んでも泣くと思うけど、ま~泣きすぎて部屋の中にアマゾン川出来ると思った。まあ全部見た後のテンションで朝にマック食べたら胃がポロロッカだったけど。

 そんなこんなで俺は楽しくやっている。この前、フォロワーに「俺を見ろよ、楽しそうだろ」って言ったら「つらそう」って言われたけど、俺は楽しくやっている。最近、母親が食事中に「昔は可愛かったのに」とか「昔は利口だったのに」とか「一族の自慢だと思ってたのに」とか言ってくるし、この前も祖母と両親の三人がかりが俺に向かって一斉に「働け」のシュプレヒコールが起こったけど、俺は楽しくやっている。こうやって日常は繰り返していく。大切な何かを失くしながら。でも、俺は楽しくやっている。

 楽しくやっていると思わないと、安心して年も越せない。

僕らの世界が侵略されてるってマジか?

 アニメは手軽に世界が侵略されるのでいいよな。俺の日常はじわじわと何者かによって侵略されているが、そもそも何者かに侵略されているというのがメチャアバウトなので誰に侵略されているのか分からない状態では対策など取りようがないわけであって、とりあえず卑近の「あ、これ侵略されてるな」という現象は最近露骨に両親が俺に対して「働け」という圧を倍増してきたことにある。

 とりあえず最終防衛ラインを俺の部屋のドアに設定したが、最終防衛ラインが俺の部屋ということは俺が部屋を出たら本丸はがら空きになってしまうことであって、これって俺の引きこもり化が加速しないか……と思っていたが、古来より侵略に対する有効戦略はとりあえず引きこもって時期をうかがってカウンターだ。振り飛車に対して居飛車穴熊が有効だと我らが渡辺明先生も仰っている。

 というわけでカウンターを行うべく地域社会への哨戒任務を開始した。まず髪の毛を切りに行った。あ、こいつ無職だなと思う一番のポイントは髪の毛が長いくせにセットしてない男です。こういう男を見つけたら間違いなく無職だと思っていい。無職はまず自分の身なりを気にしなくなる。髪切りに行くのも面倒くさくなるわけだ。そもそも俺デブで醜いアヒルの子だから髪の毛とか気にしてもしょうがないし、でも世間はそういうの関係なく容赦なく俺に社会不適合者だと烙印を押そうとするよね。21世紀もそろそろ20年経ちそうなタイミングでまだ人を見た目で判断してるの? まだ東京で消耗してるの? まあ働いてないんだけど。

 髪の毛切りに床屋に行ったら店員全員暇そうに新聞読んだりくっちゃべったりしていた。あれ、こいつら暇なのか? 俺とあんまり変わらなくないか? こいつら髪切れるだけで金貰ってんのに暇そうにしてんのか? なら髪くらい俺で切ってやるよ! と叫びそうになったが、俺は髪を自分で切れないから床屋に来ている訳なので、キョドりながら散髪してもらった。

 この床屋にはもう15年くらい通ってるんだけどメンバーの変更が一切ない。というかこいつら老けてない気がする。「こいつ唐突に腕が震えて俺の喉にハサミ突き刺したりしないかな……大丈夫かな……」みたいなジジイが15年くらい同じ顔で髪の毛を切り続けているし、そろそろマジで死亡事故でも起きそうだが、金髪のお兄さんが担当したので九死に一生を得た。

「あ、この髪の毛の半分くらいの長さで……」

「はい。シャンプーと顔剃りはどうしますか」

 15年近く通ってるけど俺は一度足りともシャンプーと顔剃りを欠かしたことはないだろ。わざわざ余計な質問して会話の数を増やすなよ。そもそも平日の昼間にあからさまに無職然とした格好の大男が来店してるんだから気を遣えよ。俺は常連なんだよ。というか15年も通っているということは俺の幼少時代を知っているわけで、この店員も俺のことを「あんなに利発そうだった坊っちゃんがこんなデブのオタクの無職なんかに……」とか考えたりしてんのかな。最近マンションの管理人が露骨にそういう視線をよこすんだけど俺の考え過ぎか? なあ誰か教えてくれよ。誰か本当のことを俺に告げてくれ。

「あ、お願いします……」

 情けない俺。この時点で羞恥で泣きそうな気分。鏡の中の俺が無表情で俺のことを見つめている。敗色濃厚。

 ところで俺は15年間この床屋に通っているわけだが、店員とした会話は「この髪の毛の半分くらいの長さでお願いします」「シャンプーと顔剃りもお願いします」しかない。15年間沈黙の男。自分で言うのもなんだがマネキン相手に髪切ってたほうがまだやりがいはあるだろう。マネキン、カッコいいしな。

 いつもなら一人か二人はよくもまあそんな話す話題があるものだと敵ながら(俺以外の人間は全員敵なので)感心する白髪で若干ハゲててお前もうそれ髪切る意味ないだろあとは抜けていくだろその頭はみたいなジジイがいるものだが、先程も言ったように今日は客が一切いないので、ずっと沈黙。15年間通っているおかげで店員も「このデブは愛想悪いし小声だし話もしないやりがいのないゴミ客」と認識しているようで彼らから話しかけることはまずない。一度それを普段俺を担当していない女店員がやったが、俺の圧倒的コミュニケーション能力の前には通用しなかった。「はい」「凄いですね」「僕もそう思います」会話三種の神器の前にイレギュラーは存在しない。暖簾に腕押し糠に釘俺との会話。

 ところで俺が顔を剃って貰っている間、女店員二人がやたらでかい声で思春期を迎えた我が子がどれだけ臭いかを自慢しあっていたんだが、そういうの恥ずかしくないのかな。良くないと思うな。俺がその店員の子供で、母親が職場の同僚と自分の息子の耐え難い体臭について話し合っていると知ったら発狂して喉にハサミを突き刺しかけない。というか端的にそれ俺への悪口だよな? 俺のこと臭いって言ってるんだよな? 女々しい奴らだよ。俺のことが臭いなら臭いと言えよ。ちなみに俺はこうやって店員に「こいつ臭いな……」と思われたくないので床屋に行く前は必ず風呂に入っている。都会人の常識だろ。

 耐え難い恥辱を耐え忍び難い罵倒を忍び散髪が終わった。2000円。俺はヒッピーに感化されたデブオタク、みたいな見た目から出来損ないの習近平みたいになった。親父は髪を切り終わった直後の俺をよくサモ・ハン・キンポーに擬える。俺も似ていると思う。どこにもジャッキー・チェンはいないし、ここは香港ではないということを除いては。

 髪を切るだけでこんなにつらい思いをするのに社会に出るのなんて無理。むしろ社会が俺のところに来いよ。俺、江戸っ子だよ。保護しろよ俺をよ。敬えよ。尊べよ。貴重な存在だと思い込ませろよ。生きる価値がある人間なんだと認定しろよ。

 叫びは声にならず空中を漂っている。声に出してないから当然だ。

無職ブタ野郎は中原岬の夢を見るか?

 長い、とても長い夢を見ていた気がします。とても楽しくて、すべてが満ち足りており、あらゆるものに愛と慈しみの精神を分け与え、世界が光り輝くような夢を……。

 結論から言うと無職ブタ野郎は中原岬の夢を見る。これもう面白いくらいに見る。俺くらいの無職ブタ野郎になると、青春ブタ野郎シリーズと違って「田中は本当に無職ブタ野郎だね」と声をかけてくれる友人すらいないので、一人で無職ブタ野郎と自分のことを罵って、自分のことすら満足に救えない己の人生を顧みながらオナニーをする羽目になる。いや、慰めの間は流石に人生振り返ってないよ。

 我が家の近所に創価学会のデカい会館があり、会館の目の前にあるコンビニの前でホットスナックでも食いながらその会館に出入りする人々達を見ると、「古代エジプトで王が自分の権威を誇示するためにピラミッドを作ったという話はどうやらマジらしい」と実感し、いい歴史の課外授業になる。マジでそのくらいデカいし、俺の家の周辺は普通に下町なのでマジでその建物が浮いている。なんか金ピカに光ってるし。

 そこで中原岬はそういえば宗教の勧誘をしていたという挿話を思い出し、そういえば創価学会は勧誘のしつこい宗教であることを思い出し、俺は定期的に会館の周辺をうろついて真実の中原岬を探している。しかし未だにノーヒット。創価学会員の中原岬はなかなか最悪な概念の一つとして挙げられると思うが、どんな形であれ俺は中原岬とコネクションを持ちたい。世界にまだ愛があることを確かめたいのだ。

 ところで、中原岬は丘の上から主人公のアパートを見下ろせる位置に自室があって、そこで窓ごしに佐藤達広のダメ人間生活を目の当たりにしていることが物語の重要な設定でもある。俺もそう思って自室のカーテンを全開にして暮らしているが、中原岬の気配すらどこにもない。響くのは俺のマンションの目の前の狭い道路で何故かロシア人ハーフの少年がバスケットボールの練習をする音と、ビルの屋上に自分専用のゴルフの打ちっぱなしエリアを作ったおっさんが鳴らす音だけです。

 なあ、中原岬よ、俺はお前のことをこんなに探しているのにどうしてまだ出てこないの? なんでピンポン鳴らすのは母親が買った化粧品だか靴だかの通販の宅配員だけやねん。なあ。宗教の勧誘に来いよ! 俺を救えよ! ダメ人間っぷりを見て笑ってくれよ! 近所の公園でカウンセリングしてくれよ! おい! 聞こえてるのか! 中原岬聞こえているのか!

 中原岬はダメ人間だった佐藤達広の様子を見てカウンセリングするのだが、もしかしてこうやって中原岬を積極的に追い求めている姿はダメなのでしょうか? ダメ人間が救いを求めるために奔走するというのは本質的に中原岬が救う対象ではないということでしょうか? だとしたら俺は一体何のためにこんなことを……学会の周りをコソコソ隠れながら移動して警備員に注意される羽目もなかったし、いつも通りカーテンを開けたら向かいのアパートに住む婆さんが俺の部屋をガン見してたこともなかったのに……

 もう中原岬が出てこないと俺の人生取り返しがつきません。中原岬が責任を取るまで、俺はこの世界の陰謀に向けて突撃するしかねえんだよ(このネタ誰が分かるんだよ)。

ノーベル生活賞

  気がついたら10月になっていて、気温が野茂英雄のフォーク並みの勢いでゴリ落ちしていって、まるで俺の人生を折れ線グラフで表したらこんな急降下が出てくるに違いないと思わせる。

 いや、もう10月じゃん。

 俺の三浪が決まって今年一年は頑張るぞと決めてからもう半年過ぎてるじゃん。

 ……悠久の時、経ちすぎ。

 ……月日、百代の過客すぎ。

 2018年もラストスパートかけてきて、こっから先はノンストップメドレーで毎日が過ぎていくのだと考えると俺もウカウカしてはいられないなと思い気を引き締めるのですが、引き締めたところで別に生活が改善するわけでもねえし、俺が気を引き締めたところで何も変わらないし、何もしたくねえし、働きたくねえし、私は毎日元気で~す。

 なんかもう、プロの生活者になろうかな。ロープーの。プータローだけど。

 生活をやっていた。皆さんの生活が何なのかはまったく知らねえし送りたくもねえが、この一年はマジで確固たる生活があった……ような気がする。

 朝起きて(大体起きてねえけど)本読んで(ずっとアニメ見てるけど)軽く出かけて(半分引きこもりだけど)夕方は家族団欒で過ごして(常に誰かキレてっけど)夜には寝る(オナニーしてるけど)。そういう毎日の生活があってもいいんじゃないか。無職には無職の生活が、平成狸合戦ぽんぽこ並の無職だって辛いんだよォがあっても、いいんじゃないか。

 いやダメだろ。全然生活してねえじゃん。なんだこれ。猿か俺は。これダメだ。人間としての生活送ってねえよこれ。穀潰し以下だよ。親泣いてたよ。「アハちゃん、ちゃんと働いてよ」って、「来年から社会復帰してよ」って。知らんけど。

 この前言われてビビったのが「携帯代は自分で払ってね」だ。これ要は働けってことだろ。高卒無職三年目の息子に働いてねって言う母親狂ってるだろ。働けるわけねえよ。人と話すのが怖いんだからよ。人が怖いんだからよ。お前も怖いんだからよ。みんな怖いんだからよ。その癖みんな俺のこと笑ってるんだからよ。

 そういうとき無職の息子に出来る最後の抵抗は薬飲みまくって狂言の自殺未遂をやって、両親に俺のことを「保護すべき対象」「哀れな一人息子」として再認識させることです。これマジで効果的だからみんなも試してほしい。一人っ子は効果抜群です。どの親も子供が死んで喜ぶ親はいない……と思う。特に実家に無職飼ってるような親は100%子供かわいいに決まってるから。俺たちはそんな親心に忍び込んで飯を食いつないでいくのだ。何、良心の呵責を感じることはない。そもそも親が産まなけりゃ俺はこんなに苦しい思いしてなかった訳なので、責任は親が悪い。誰も産めなんて頼んでない。これはミュウツーの逆襲でも言ってたから確かなことです。

 特に俺の場合はまあまあの高齢出産で昔は可愛げがあって利口な子供だったので、そういうやつが心折れて精神的に傷を負った無職になるともうこれは最高に親のスネかじり虫確定な訳。俺この前働いてる友達に「親のスネ、かじってんな~」って感心されたもん。そういう道に関してはプロなのだ。

 ある日の夜明け、父親が仕事から帰ってきた。スーツから部屋着に着替えて、顔を洗って、まだ起きていた俺に食い物を渡した後、いつものように缶ビールを冷やしたグラスに注いで、つまみを電子レンジで温めていた。大男二人がいるには狭苦しい居間にあるテレビでは、B級なんだかC級なんだか分からない洋画が流れていた。黒人が拳銃を撃ちまくっていた。親父はなんだか腑抜けた顔でビールを飲みながらその映画を見ていた。長い間、黙っていた。やがて一言だけ、こう口に漏らした。

「アハ太郎、資格試験の勉強でも、しないか」

 俺は何も答えず、いや答えられず、少し辛すぎるチョリソーをかじりながら、親父と同じようにその映画を見ている。

 ……そういう具合で、日々の生活を送っていた。

憂はShock!

 毎年これぐらいの季節になるといよいよプロ野球ペナントレースも最終盤に突入し、各球団も若手選手をお試し的に使うものだが、だいたいそういう選手は高卒選手であって、俺も二十歳を超えると年下の選手も増えてきて、だいたい「ああ、彼らはもうプロ野球の一軍にいるというのに、俺は一体何を……」と、鈍い衝撃を受けるわけだ。ここ最近一番ビックリしたのはヤクルトの高卒ルーキー村上宗隆がプロ初打席でホームランを放ったこと。俺は人生の中でホームランどころかヒット一本も打てていないというのに……。

 ただそういう物事に立ち会っても一切焦らなくなってしまったのが無職の性で、というか年下の人の活躍に一々焦っていては無職なんかやっていない訳であって、そういう意味において俺はもう仙人に近くなっている。心なしか性欲も無くなった気がする。昨日3回くらい抜いたけど。

 ただ仙人になったということは限りなくキラキラした青春から遠ざかったということで、思えばウルトラ俗物だった人生を振り返ってみてもキラキラ青春の記憶がどこにもないので別にいいといえばいいが、タイムラインに流れてくる同級生たちのキラキラ青春を見ると、俺の中の仙人じゃない部分が、隠してた感情が悲鳴を上げてるわけで、インターネットの世界に余計のめり込んで行ってしまうのだ……。

 いいんだも~ん、俺はお前らがキラキラ青春を送っている間に、意識はしていなかったけど意外と美しかったこの世界と触れ合っているから。きれいな顔していたんだね、知らなかったよ。

 そう、憂鬱は良くない。憂はShockだ。涼宮ハルヒよろしく憂鬱になるとろくなことにならない。睡眠薬をガバ飲みした挙げ句思い出すだけでもう一回睡眠薬をガバ飲みして自殺したくなるほどの恥ずかしいことをしでかすわけで、本当に憂鬱は良くない。俺は無職なので、将来がしっかり保証されてる大学生様と違って、マジで生きるか死ぬかみたいなライブ感で日々を送っている。貧乏の家庭の無職の切れ味はちょっと違うぜ、触ると怪我する。怪我してるのはおれの人生の方だから。

 怪我したおれの人生を癒やしてくれるオンナノコ絶賛募集中。できれば中原岬みたいなオンナノコがいいが、リスカとかするのはマジ勘弁な。いや、女募集している時点で全然仙人じゃないじゃん。性欲バリバリじゃん。大丈夫か? 自己が分裂していないか? 

 ところで中原岬はいつになったら俺の部屋に来てくれるんだ? 毎日創価学会の会館の周りをうろちょろしているのに誰からも声をかけられないが、みんな俺のことが見えているのか? 無職が長すぎて、仙人になりすぎて、雲の上の人になりすぎて、影が薄くなったのか? 

 誰か教えてくれ! 俺はこれから先一体どうなってしまうんだ! と部屋の中で叫んだら、たまたまつけていたテレビから北斗の拳の映像が。そう、いつの時代も己の人生に迷うとき、拳だけは裏切らないと達人が教えているではないか……。ラオウしかり、ケンシロウしかり、一人の女をもとめ合うことに己の鍛え上げた拳を振るっているではないか……。迷うことは何もなかった。俺の体だけがあればいい。この拳一つで、いつの日か、必ず……。

 人生を取り戻せ!

夏は過ぎバカばかり

 田中です。

 9月になり、いやなってしまい、いよいよ俺の進退も決めなければいけないタイミングに入ってきたっぽく、両親から毎日のように働けと言われるんですが、今日起きたのはなんと午後5時。普通の人なら退勤しているような時間帯に目が覚める男に務まる仕事などなく、この前会った高校時代の友人にも「お前親のスネ全力でかじってんな~」と過不足ない評価を頂きまして、このままだと親の遺骨すらしゃぶりかねない事態です。

 そう……世の中の無職たちが慌てて仕事を探しているというのに、俺には全く危機感がない。焦燥感もない。自分にも少しはあるだろうと思っていた社会復帰への野心みたいなのが完全に潰えた。燃える前に灰になったような心境で今このブログを書いており、そんじょそこらの僧侶が俺のことを見たらあまりの悟りっぷりに腰抜かして拝みだすだろうね。そうやって金を稼いでいきたいのですが、手っ取り早くブッダになるにはどういう資格がいるんでしょうか? TOEICの点数は高い方がいいのかな。

 サトリで思い出しましたが先日とあるシリーズのアニメをイッキ見しました。皆さん、御坂美琴(CV:佐藤利奈)って知ってますか? 図らずもナイツの漫才の導入みたいになってしまいました。「今更かよ」感もナイツっぽい。

 今更、とあるシリーズをイッキ見したのです。人並みに賢しかった中高時代の俺は「とあるみたいな中二病患者御用達のアニメなんか見てもつまんねーだけだし」という実にバカっぽい気持ちでとあるシリーズを素通りしました。そのかわり俺がハマっていたのはハルヒエヴァエヴァはまだ新劇場版が製作中ということもあり盛り上がっていたイメージがあるが、ハルヒの場合は本当に盛り上がりがなく、学校の中にハルヒが好きな友達というのがいないので、あのときは辛かったな。いじめられていた太っちょのオタク先輩だけが俺の話の合う人でした。元気でやっているのかな。

 ところでもう21歳になろうとしている俺は、とあるシリーズなんか見ても全然オッケー。人間として成熟したので、あらゆることにも目を瞑るようになりました。われわれ、出生という一番最初にして最大の理不尽を経験しているので、そのことを思えば多少の話のあらなどは気になりもせず、褒めるべき点がどんなに小さくても、一つしかなくても、それさえあれば名作なのです。

 禁書目録の方は「中学生の頃の俺が見たら絶対ハマってたな」って感じ。楽しいですよね、魔術。ところで俺は御坂美琴目当てで見始めたので序盤10話くらい一切御坂美琴が出てこないことに苛立ちを隠せず、いやまあでもインデックスも可愛いといえば可愛い……な?

 超電磁砲の方は一話から御坂美琴が出てくるので即神アニメ認定してしまいました。世の中の男たちは佐藤利奈の声を聞くと自動的に世界認識が溶けて混ざり合ってしまう独特の酩酊感を必ず味わうと思います。御坂美琴、かわいいしな。お話の方も個人的にはボロボロ涙してしまい、特にシスターズ編は最後の方ずっと泣いてた気がする。これは加齢による涙もろさと不可分ではあるまい。

 超電磁砲があまりにも良すぎて原作を大量購入してしまいました。無職はこういうとき一日潰して漫画読めるから楽だね。俺の一日が潰れていく度に俺の将来の可能性が一つずつ潰えているのですが。

 というわけで俺のところはグイッとアップすることもなければグイッとダウナーになることもない超低空飛行危険水域続行中。何もやることがないけれどなんの夢もない無職ってどうすればいいんですかね? ギターでも始めてみようかな。

 

リアル近況報告

 徹夜明けで朝マック食べたらゲロ吐きました。

おい! 地球は宝箱らしいぞ!

 二つ前のブログの記事を読んだら夏のことは8月の俺に任せる旨のことがあって、つい一ヶ月半前の自分の無責任さに我ながら呆れ返るばかり。夏らしいことはしたように思えないというか、東京都心で毎日核実験でもやっているかのようなほとんど超常現象的暑さに半ば引きこもりの無職が対抗できるわけがなく、俺は毎日何をやるわけでもなしに家の外へと一歩も出ないような状況が続いていた。

 ところでヤマノススメサードシーズンが今クールでは絶賛放送中であり、そのオープニングは「だって地球は宝箱」と高らかに歌い上げてから始まるのですが、「何!? 地球が宝箱なら何もしなくても俺は大金持ちじゃないか!」と歓喜したのは無職の俺で、そういうわけで夏はいろいろとイベントに出歩こうと決意、記憶がここからありません。

 自分のツイートに8月の記憶が眠っているはずなのでサルベージしていたところ、そこそこ思い出してきた。家から一歩も出ず甲子園を見ていたわけで、この夏一番の宝物といえば間違いなく高校球児だった……イイ話っぽく終わらせることも出来るが、イイ話がイイ話として終わっていたら今頃俺はこんなに歪んだ性格をしているはずもないので、イイことばかりじゃないらしい。

 夏はイベント行くぞ~と言ったものの飲み会に顔出したのと高校時代の友人たちとプールに行ったくらいで、これ多分去年も一昨年も同じことやっているわけで、俺は変わらない日常に絶望し、涼宮ハルヒ! 見てくれや! これがモノホンのエンドレスエイトや!と叫び散らかし、母親が慌てて俺にワイパックスを飲ませていました。

 夏といえば、劇場版 のんのんびより ばけーしょんは皆さんご覧になりましたか? 見てないやつは俺に話しかけないでください。詳細は割愛するが、俺は沖縄編をこういうふうにアニメ化した驚きと夏海の姿にホロリと涙。というかオープニングからずっと号泣していて、やっぱTVアニメから5年経ってるコンテンツは重みが違うよな……と隣のオタクに向かって念波で話しかけていました。TVアニメの舞台だった田舎から沖縄へと舞台を移しながら、ところどころTVアニメのエピソードと対応するかのような挿話がいくつもあり、越谷小鞠さんがお姉さんらしい姿を見せようと一計を案じてそれが無事成功したときも「こまちゃん、お姉さんっぽいところ見せられるじゃん!」とマジでボロ泣き。これは隣のオタクも泣いてた。

 というわけで俺の夏はこうやって終わっていった。いつもと同じように見えて、どこか違うような夏。珍しく感傷的になりながら、お気に入りのアニメを見返していたのさ。